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どい きよまつ

土井清松

どい きよまつ

1905.3.14(明治38)〜 1936.2.26(昭和11)

大正・昭和期の警官(2・26事件殉職)

埋葬場所: 12区 1種 15側

 1936.2.26(S11)二・二六事件発生時は巡査であり、総理大臣警護の特別警護勤務に従事。
 官邸の玄関で襲撃隊を阻止しようとした小館喜代松巡査はその場で殺害されたが、非常ベルを押したため、襲撃部隊が首相官邸に侵入したことを察し、直ちに首相の寝室に向かう。前日から上京をしていた岡田啓介の妹の夫の松尾伝蔵(予備役の陸軍大佐)と合流し、首相を連れ出した。この時、庭の非常口近くでは清水与四郎巡査が守っていたが機銃弾に倒れる、外への脱出を諦める。休憩をしていた村上加茂衛門(12-1-15)巡査部長も合流。
 岡田首相をいったん浴場に避難させ、警戒をしていたところ、機関銃及び小銃を乱射する数十名の決起将校と衝突。三人は廊下で決起将校たちと応戦した。先に村上巡査部長が射殺される。土井は林八郎(7-1-13-23)少尉に組み付いたが、他の兵隊に後ろから切り伏せられてしまった。享年30歳。
 その後、松尾は中庭で射殺された後、寝室に運ばれそこに在った岡田首相の写真と比べられ、容姿が似ていたことや写真の入っていたガラスにひびが入っていたこともあり、決起将校たちは岡田首相と誤認。決起が達成されたと安堵していたが、実際は岡田首相は女中部屋の押し入れに隠れ難を逃れた。遺骸の確認にきた迫水久常(9-1-8)首相秘書官と福田耕秘書官らが現状を知り、翌日、首相救出作戦により岡田首相の命を助けた。昭和天皇が重臣を殺害しこれを正当化する反乱将校に激怒し、29日に討伐命令が発せられるや、反乱部隊は帰順し、あえなく失敗に終わり、反乱部隊将校は投降した。
 土井清松は没後、勲8等に叙せられ、白色桐葉章を授け賜い内務大臣の後藤文夫よりは功労記章及び特別賞与を授けられた。同.3.16 二・二六事件で命を落とした村上嘉茂左衛門巡査部長、土井清松巡査、小館喜代松巡査、清水与四郎巡査に加え、湯河原の旅館に滞在中の牧野伸顕 前内大臣の警護を担当していた皆川義孝巡査の5名の警視庁葬が執り行われた。同.6 岡田啓介により多磨霊園に墓所が整えられ葬られた。

<図説 2.26事件(河出書房新社)>
<報知新聞(1936.10.14)>


碑

*墓石は和型「土井家之墓」、裏面「昭和十一年六月 岡田啓介 建之」。右側に墓誌が建ち、戒名は私願院釋安養清道居士。勲八等の刻みもある。左側には内務大臣の後藤文夫から贈られた「警察官吏及消防官吏功労記章」が刻む殉難碑が建つ。


【2.26事件で関与した人物と多磨霊園】
- 死亡者 -
齋藤 實内大臣7-1-2-16
高橋是清大蔵大臣8-1-2-16
渡辺錠太郎教育総監12-1-10-15
松尾伝蔵予備役陸軍大佐*岡田啓介(9-1-9-3)首相と親類で誤認され殺害
村上嘉茂左衛門巡査部長12-1-15
土井清松巡査12-1-15
小館喜代松巡査 
清水与四郎巡査 
玉置英夫巡査 
皆川義孝巡査 
 
- 重傷者 -
鈴木貫太郎侍従長*死を免れた鈴木と岡田は太平洋戦争の終戦工作に尽力した
 
- 負傷者 -
齋藤春子内大臣夫人7-1-2-16
平田立己巡査 
飯田哲治巡査 
片倉 衷陸軍省軍事課員 
森 鈴江看護婦 
山本亀三旅館業 
八亀広蔵旅館業 
 
- 刑死 -
安藤輝三鈴木邸襲撃指揮官多磨霊園調査中
* 麻布にある曹洞宗賢崇寺二十二士之お墓 合同慰霊 安藤の戒名は諦観院釈烈輝居士
林 八郎首相官邸襲撃指揮官7-1-13-23


*2・26事件首謀者として刑死した社会主義者の北一輝の弟、北叉箸諒茲4-1-35。

*青年将校に色々と吹き込んだとされる真崎甚三郎陸軍大将の親族の墓と思われる墓所は3-1-4。

*2・26事件の反乱軍に同情的な態度をとって左遷された荒木貞夫陸軍大将は8-1-17。

*村上嘉茂左衛門墓所と土井清松墓所は隣通しであり、各々の墓所には殉難碑(内務大臣:後藤文夫による)が建つ。



第106回 2・26事件 首相を守り命を落とした護衛警官
村上嘉茂左衛門 土井清松 お墓ツアー 首相官邸襲撃事件


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