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たかはし これよし

高橋是福

たかはし これよし

1881(明治14)〜 1935.1.30(昭和10)

明治・大正・昭和期の実業家

埋葬場所: 6区 1種 1側

 高橋是清(同墓)の二男として生れる。
 横浜商業学校を卒業して三井物産会社に勤めたが、のち米国に渡り実業界を視察して帰り、日本酸素会社を創設して兄の高橋是賢(9-1-2)とともに取締役となり、1930(S5)には株式会社帝都座を創設して社長となり、日本火薬製造会社の重役をも兼ねた。享年55歳。

<日本人名大事典>
<平成新修旧華族家系大成>
<五輪塔様より情報提供>
<徳川葵様より情報提供>
<もへい様より情報提供>


たかはし これよし

*『日本人名大事典』では「たかはし これとみ」となっている。

*墓碑は二基並んでおり、右の墓碑に「泰徳院殿賢量是福居士」と妻の多美の戒名と連名で刻む。左面に建立者の高橋福一の名が刻む。

*長女の福子は、伊藤博文の孫で公爵の伊藤博精に嫁いだ。なお、伊藤博精と福子の娘の文子は出雲国造家の千家達彦に嫁いでいる。

*釣が趣味であり、'26.6.15(T15)東京放送局ラジオにて「趣味の釣魚」と題し語っている。 ラジオで語られた湯川の鱒釣の内容が、'28(S3)雑誌『釣の研究』9月号、10月号、11月号と三回に分けて連載された。


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