歴史が眠る多磨霊園


たかはし よしつぐ

高橋義次

たかはし よしつぐ

1882.8.23(明治15)〜 1969.2.2(昭和44)

大正・昭和期の弁護士、政治家

埋葬場所: 19区 1種 7側

 宮城県出身。宮城師範学校を経て、1915(T4)日本大学法学部英法科卒業。 '17弁護士試験に合格し、以後弁護士業に従事し、東京弁護士会常議員、日本弁護士協会理事などを歴任。
 東京芝区会議員、東京市会議員をつとめ、'32(S7)衆議院議員に民政党から立候補し当選した。当選2回。法曹一元論を提示。 戦後の極東国際軍事裁判(東京裁判)では海軍側の主任弁護人として活躍し、A級戦犯海軍大将嶋田繁太郎の弁護人をつとめた。 なお、嶋田の判決は終身刑。裁判では「勝者に敗者を裁く権利はない」と日本代表者として主張した名句は有名である。
 '45東京弁護士会長、'65日本弁護士連合会長。社会福祉にも努め、日本弁護士会連合会人権養護委員長、仙台育英会理事、宮城県人会名誉会長等も歴任し、後任の指導にも尽力。 '64勲3等旭日中綬章、生功により勲2等に昇叙された。栗原群名誉群民、若柳町名誉町民でもある。享年86歳。戒名は宗徳院殿寛譽義道大哲居士。

<高橋義次先生之誌>
<物故辞典など>
<森光俊様より情報提供>


*宮城県栗原市の栗南(りつなん)公園内に名誉郡民高橋義次記念館がある。また高橋義次胸像も建つ。


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