歴史が眠る多磨霊園 |
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小林躋造 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
こばやし せいぞう | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1877(明治10)〜 1962(昭和37) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
大正・昭和期の海軍軍人(大将) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
埋葬場所: 10区 1種 3側 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
広島県出身。海兵26期、海大6。1913(T2)からイギリス・アメリカ駐在。兵器としての航空機の価値に注目した一人であり、海軍が本格的に航空部隊を養成するきっかけとなったイギリスのセルピン大佐招聘は、小林の努力が大きかったという。 17大佐となり平戸艦長。20イギリス大使館付武官。22帰朝し少将昇進、第三戦隊司令官、翌年軍務局長。26中将昇進。27(S2)軍縮会議首席随員としてジュネーブに派遣され、帰国後練習艦隊司令官、艦政本部長を務めた。 30海軍次官になり航空部隊充実に力を注いだ。31第一艦隊兼連合艦隊司令長官、33大将昇進、軍事参議官を歴任。36、2.26事件のあおりを受けて予備役となった後、36〜40台湾総督、40辞職。 44貴族院議員。翼賛政治会総裁、小磯内閣の国務相を歴任した。 <コンサイス日本人名事典>
*墓所は小林家の墓石と右側に墓誌があるのみで質素。墓誌にも海軍大将などという文字は刻まれておらず、名前のみが刻む。
同墓所には旧廣島藩士の小林源六も眠る。
*小林躋三は、明治10年10月1日、広島市で早川亀太郎・テル夫妻の三男として生れた。 のち母方の旧広島藩士族小林時之助・峰の養子となった。 同墓には養父の小林時之助(嘉永2.11.2〜明治33.10.23)広島県庁土木技師。 養母の小林峰(みね)(慶応3.11.11〜昭和24.6.24)。 <海軍大将小林躋三覚書> | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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