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たかはし よしお

高橋節雄

たかはし よしお

1878.2.3(明治11)〜 1971.4.1(昭和46)

明治・大正・昭和期の海軍軍人(少将)、市長

埋葬場所: 10区 1種 6側

 島根県出身。中学時代に小泉八雲から英語の講義をうけ語学が堪能となる。1898(M31)海軍兵学校(26期)卒業。同期に小林躋造(10-1-3)大将、清河純一(11-1-10-12)中将、福田一郎(13-1-35-1)少将らがいる。
 海軍少尉候補生として比叡乗組。厳島、千歳、鎮辺、出雲、暁乗組を経て、1902呉海兵団分隊長心得となる。海門、磐手の各分隊長心得、佐鎮附、'04大尉となり千歳分隊長、砲術長となった。 鎮遠、筑波、相模、鞍馬、肥前の分隊長、砲術長を歴任後、'12軍令部参謀となる。この間、'08海軍大学卒業(7期)。同期に末次信正(16-1-3-8)大将、四竈孝輔(21-1-22-10)中将らがいる。 '14(T3)陸大兵学教官。'15霧島副長、'16臨時南洋群島防備隊参謀長、'18軍令部出仕、高崎指揮官、大佐となり海大教官。 '21生駒艦長、'22山城艦長、長門艦長(3代目)。'23少将となり、佐世保防備隊司令、'24軍令部出仕、'25待命、予備役。'36(S11)後備役、'41退役。
 この間、軍役を退いた'25.8.20(T14)より、故郷に戻り、第三代松江市長(1期:在職4年)を務めた。'30.9.22(S5)〜'32.3.2第10代横須賀市長も務めた。功五級。享年93歳。

<帝国海軍提督総覧など>


*墓所正面は「高橋家之墓」。戒名は高節院雄武好文居士。


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