| 歴史が眠る多磨霊園 |
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東郷平八郎 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
とうごう へいはちろう | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 1847(弘化4)〜 1934(昭和9) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
明治・大正期の海軍軍人(元帥)、侯爵 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 埋葬場所: 7区 特種 1側 1番 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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薩摩藩士として薩英戦争、戊辰戦争に参加。 1870〜78(M3〜11)イギリスに留学後、天城・比叡等の軍艦の副艦長・艦長を務めた。 90呉鎮守府参謀長、95常備艦隊司令長官を経て、96海大校長。 1903第1艦隊兼連合艦隊司令長官に就任し、日露戦争時には、旅順港封鎖作戦を行ない、ロシア海軍極東艦隊を黄海海戦で、 またバルチック艦隊を日本海海戦で全滅させた。戦後軍令部長、13(T2)元帥。 30(S5)ロンドン軍縮条約の承認にあたり、条約に強硬に反対。軍の元老的存在であった。 日露戦争の戦功で国民的英雄として尊敬され、国葬として多磨墓地の最初の名誉霊域埋葬者となる。 <コンサイス日本人名事典> *東郷平八郎の墓は最初青山墓地に埋葬予定であったが、広大な墓場が見つからず、急きょ多磨墓地に変わった。 その後、元帥様と同じ場で眠りたいと集う者が増え、人気が薄かった多磨墓地の人気が上昇。
<中野文庫> | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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