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とうごう てつこ

東郷テツ子

とうごう てつこ

1862(文久2)〜 1934.12.28(昭和9)

明治・大正・昭和期の婦人活動家

埋葬場所: 7区 特種 1側 1番

 薩摩国出身。鹿児島藩士の海江田信義の長女として生まれる。
 1878(M11)16歳の時に、当時海軍中尉で30歳であった東郷平八郎(同墓)と結婚。結婚当初は東京芝区田町で二階間借りのささやかな生活から始まった。質素、倹約を旨として家庭を守りる。
 2男2女を儲ける。長男の東郷彪(同墓)は侯爵を継ぎ宮内省式武官、主猟官、貴族院議員を務めた。次男の東郷実は父と同じ海軍の道を進み、海軍兵学校40期生で最終階級は海軍少将。長女は早死。二女の八千代は海軍少将・男爵の園田実に嫁いだ。
 愛国婦人会本部評議員、陸海軍将校婦人会顧問をつとめた。
 最晩年は、平八郎とテツ子は同じ病院に入院していた。テツ子も病状が悪化して平八郎の看護をすることができなかった。1934.5.30(昭和9)に夫の東郷平八郎が亡くなり、同.6.5 国葬が執り行われた。同.12.28 テツ子も逝去。
 テツ子の最後の言葉は「乃木さんの奥様がうらやましい」であった。明治天皇が崩御したときに、乃木希典と妻の静子は夫婦で自決した。最後の言葉には夫の平八郎と死を共に迎えたかったという思いがこめられている。

<日本女性人名辞典>
<人事興信録など>


*正面「元帥海軍大将侯爵東郷平八郎墓」、裏面「昭和九年五月三十日薨」。家紋入りの花鉢に「三笠保存會」と刻む。東郷平八郎の墓石の左隣に和型「東郷家墓」、裏面「昭和十年五月三十日 彪 建之」。右隣に和型「侯爵東郷平八郎 妻 テツ子 墓」、裏面「昭和九年十二月二十八日歿」。墓所右側に「賜誄の碑」が建つ。


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