メイン » » » 平沼騏一郎
ひらぬま きいちろう

平沼騏一郎

ひらぬま きいちろう

1867(慶応3)〜 1952(昭和27)

明治・大正・昭和期の司法官僚、首相、男爵

埋葬場所: 10区 1種 1側 15番

 美作(岡山県)津山藩士平沼晋の子。号を機外。1888(M21)司法省に入り、1905大審院検事、06民刑局長を兼任、大逆事件で主任検事を務め社会主義抑圧のため暗黒裁判を指揮。 西園寺(8-1-1-16)内閣司法次官。12(T1)〜10年間検事総長、21大審院長、山本内閣法相。24退官し貴院議員・枢密顧問官。 社会運動や西洋物質文明を害毒とし、同年復古的日本主義による国民教化を目指し国本社を創始。日大総長兼任。 34(S9)枢府議長。極端な右傾を警戒される不満から帝人事件・国体明徴運動を影で指揮し倒閣。36の2・26事件後枢府議長。 39内閣を組織。在任中、総親和を掛声に国民精神総動員を強化、だが独ソ不可侵条約締結で「複雑怪奇」の迷句で退陣。40近衛内閣の国務相・内相。敗戦後A級戦犯。

<コンサイス日本人名事典>


*大正15年10月28日に騏一郎が男爵を授爵した。

*平沼騏一郎の墓所内には騏一郎の墓石の左側に平沼恭四郎の墓石が建つ。平沼騏一郎には実子がなく、兄の平沼淑郎(よしろう)の孫娘・中川節子と夫の恭四郎が一家養子となり、その長男が小泉内閣の経済産業大臣の平沼赳夫である。


関連リンク:



| メイン | 著名人リスト・は行 | 区別リスト |
このページに掲載されている文章および画像、その他全ての無許可転載を禁止します。