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なかむら あけと

中村明人

なかむら あけと

1889(明治22)〜 1966(昭和41)

明治・大正・昭和期の陸軍軍人(中将)

埋葬場所: 14区 1種 18側

 1910.5.28(M43)陸軍士官学校卒業(22期)。同期に牛島敬次郎(後に中将:22-1-73)、白倉司馬太(後に中将:21-1-17)、寺本熊市(後に中将:13-2-54)、牟田口廉也(後に中将:26-1-46-19)、村上啓作(後に中将:22-1-62)、青村常次郎(後に少将:19-1-14)、飯島重助(後に少将:10-1-6)、飯塚国五郎(後に少将:16-1-19-6)、杉浦章(後に少将:10-1-13)、月野木正雄(後に少将:21-1-5)らがいた。後に歩兵第6連隊付となり、'22.11.29(T11)陸軍大学校卒業(34期)。同期に岡田資(後に中将)、落合忠吉(後に中将:16-1-7)、村治敏男(後に中将:25-1-48)、山本募(後に中将:12-1-25)、楠木延一(後に少将:20-1-21)らがいる。歩兵第6連隊長。 25から三年間ドイツ駐在し、以後教育総監部、陸軍省の課長を歴任、38(S13)軍務局長、ついで兵務局長。 40第5師団長となり、北部仏印進駐にさいし、越境問題をおこした。41憲兵司令官となり、43タイ国駐屯軍司令官、45第18方面軍司令官となった。
 戦後は著述活動をおこない、「ほとけの司令官駐タイ回想録」1958等を執筆した。

<コンサイス日本人名事典>


墓所

*中村邦平(陸軍歩兵大佐)も同墓で眠る。


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