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しらくら しばた

白倉司馬太

しらくら しばた

1889(明治22)〜 1972.8.14(昭和47)

大正・昭和期の陸軍軍人(中将)

埋葬場所: 21区 1種 17側

 広島県出身。1910.5.28(M43)陸軍士官学校卒業(22期)。 同期に牛島敬次郎(後に中将:22-1-73)、寺本熊市(後に中将:13-2-54)、中村明人(後に中将:14-1-18-1)、牟田口廉也(後に中将:26-1-46-19)、村上啓作(後に中将:22-1-62)、青村常次郎(後に少将:19-1-14)、飯島重助(後に少将:10-1-6)、飯塚国五郎(後に少将:16-1-19-6)、杉浦章(後に少将:10-1-13)、月野木正雄(後に少将:21-1-5)らがいた。 同.12.26陸軍砲兵少尉に任官。陸軍大学には進まず、東京帝国大学機械科を卒業した。
 様々な要職を経て、'34.3.5(S9)関東軍野戦兵器廠長に就任し、同.8.1大佐。'36の2.26事件に遭遇し、同.3.7兵本附となった。'37.8.4 第1野戦化学実験部長に就任。この部隊は歩兵第9旅団の国崎登少将の支隊の直属部隊として南京戦に参戦している。
 '38.3.1少将に累進し、砲工校砲兵科長、'38.7.15小倉工廠長を歴任。'40.4.1名古屋造兵廠長となり、同.12.2中将となる。'41.12.8太平洋戦争勃発。'43.6.10待命、同.6.30予備。正4位 勲2等旭日重光章。享年83歳。

<帝国陸軍将軍総覧>
<日本陸軍将官総覧>


*墓石は和型「白倉家之墓」。左側に墓誌があり、戒名は英照院釋勇哲居士。陸軍中将等の刻みもある。妻は好子。


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