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いいづか くにごろう

飯塚国五郎

いいづか くにごろう

1887(明治20)〜 1938.9.3(昭和13)

明治・大正・昭和期の陸軍軍人(少将)

埋葬場所: 16区 1種 19側 6番

 群馬県出身。富岡中学を経て、1910.5.28(M43)陸軍士官学校卒業(22期)。同期に牛島敬次郎(後に中将:22-1-73)、白倉司馬太(後に中将:21-1-17)、寺本熊市(後に中将:13-2-54)、中村明人(後に中将:14-1-18-1)、牟田口廉也(後に中将:26-1-46-19)、村上啓作(後に中将:22-1-62)、青村常次郎(後に少将:19-1-14)、飯島重助(後に少将:10-1-6)、杉浦章(後に少将:10-1-13)、月野木正雄(後に少将:21-1-5)らがいた。 同.12.26歩兵少尉に任官し、岐阜の歩兵第68連隊属。シベリア出兵。'20(T9)大尉となり歩兵第68連隊中隊長。'24陸士本科生徒隊第2中隊長、'25歩兵第3連隊付、'27(S2)少佐になり法政大学配属、'29東京府立実科工業学校配属、'33中佐となり明治大学配属となった。
 '37.8.2大佐に昇進。同.10.14歩兵第101連隊長に就任。日中戦争の徐州会戦、武漢攻略戦に参加。武漢作戦の際に徳安の地にて戦死した。享年53歳。没後1階級特進し少将となった。功三級金鵄勲章。'38有志により、明治大学に「飯塚先生留魂碑」が建立された。

<帝国陸軍将軍総覧>
<日本陸軍将官総覧など>


*'36(S14)地元の富岡中学校に「飯塚国五郎部隊長胸像」も建立されたが現在は現存しない。


【配属将校】
 配属将校とは軍事知識の付与、軍事教練実施のために、1925.4.11(T14)「陸軍現役将校学校配属令」が公布され、全国の中等学校以上の学校(官立・公立)に原則として義務的に配属された陸軍現役将校のことである。私立学校については任意的であった。なお、配属将校は教練に関しては学校長の指揮監督を受けた。


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