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いいじま しげすけ

飯島重助

いいじま しげすけ

1887.2.23(明治20)〜 19677.5.27(昭和42)

明治・大正・昭和期の陸軍軍人(少将)

埋葬場所: 10区 1種 6側

 東京出身。1910.5.28(M43)陸軍士官学校卒業(22期)。同期に牛島敬次郎(後に中将:22-1-73)、白倉司馬太(後に中将:21-1-17)、寺本熊市(後に中将:13-2-54)、中村明人(後に中将:14-1-18-1)、牟田口廉也(後に中将:26-1-46-19)、村上啓作(後に中将:22-1-62)、青村常次郎(後に少将:19-1-14)、飯塚国五郎(後に少将:16-1-19-6)、杉浦章(後に少将:10-1-13)、月野木正雄(後に少将:21-1-5)らがいた。同.12.26歩兵少尉に任官。
 その後、様々な要職を経て、'37.8.2(S12)大佐に昇進し、第1師団司令部附となる。'37.9.20第14碇泊場司令官(上海)、'39.9.21 第1船舶輸送司令部附、'40.8.1少将に累進し、留守第7師団司令部附を歴任した。 同.10.4第7師団司令部附を経て、同.12.2陸軍運輸部附、'41.9.21第1碇泊場監となり太平洋戦争が勃発、'42.7.9碇泊場司令部附を最後に、'43.11.25待命、同.11.30予備となった。
 碇泊(船舶:せんぱく)司令部は、陸軍の部隊のひとつで、戦時における陸軍の船舶輸送を担当した。司令部が統括した船舶部隊は通称「暁部隊」と呼ばれた。飯島は船舶輸送畑を歩んだ軍人である。功四級金鵄勲章。

<帝国陸軍将軍総覧>
<日本陸軍将官総覧>


*墓石正面「飯島家之墓」。戒名は威揚院釈仁勇重功居士。


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