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つきのぎ まさお

月野木正雄

つきのぎ まさお

1888.11.17(明治21)〜 1972.4.15(昭和47)

明治・大正・昭和期の陸軍軍人(少将)

埋葬場所: 21区 1種 5側

 鹿児島県出身。1910.5.28(M43)陸軍士官学校卒業(22期)。同期に牛島敬次郎(後に中将:22-1-73)、白倉司馬太(後に中将:21-1-17)、寺本熊市(後に中将:13-2-54)、中村明人(後に中将:14-1-18-1)、村上啓作(後に中将:22-1-62)、牟田口廉也(後に中将:26-1-46-19)、青村常次郎(後に少将:19-1-14)、飯島重助(後に少将:10-1-6)、飯塚国五郎(後に少将:16-1-19-6)、杉浦章(後に少将:10-1-13)らがいた。同.12.26砲兵少尉に任官。様々な要職を経て、'27.3.15(S2)少佐、'33.8.1中佐と昇進し、'35.8.1第10師団兵器部長となった。
 '36.8.1独立山砲兵第3連隊長を歴任した。翌年、日中戦争が勃発。'37.8.2大佐となり、同.8.6北支に出動、'38.7.15近衛野砲兵聯隊長に就任し、'40.8.4南寧に出動した。
 '41.3.1少将に累進し、第13軍兵器部長となる。太平洋戦争が勃発後も継続し、'42.8.1まで同要職を務めた。同.10.13長崎要塞司令官に就任し、長崎要塞の最後の司令官となる。終戦間際に、'45.4.1西部軍管区司令部附、同.4.30待命、同.5.1予備となった。正4位 勲2等 功4級。享年83歳。

<帝国陸軍将軍総覧>
<日本陸軍将官総覧>


*墓石は和型「月野木家之墓」。左側に墓誌があり、「正四位勲二等 陸軍少将」、俗名と没年月日、享年が刻む。妻はセツ。

*同墓に眠る子の月野木伸は「正八位勲六等 陸軍少尉」(S11.8.21没)。陸軍航空兵の見習士官として神奈川県での軍用機の訓練中に事故により殉職。没後少尉となった。


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