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くすのき のぶかず

楠木延一

くすのき のぶかず

1893(明治26)〜 1940.11.28(昭和15)

大正・昭和期の陸軍軍人(少将)

埋葬場所: 20区 1種 21側

 広島出身。1915.5.25(T4)陸軍士官学校卒業(27期)。同期に後に火薬製造法発明者の勝村福治郎(後の中将:24-1-22)、青木政尚(後の少将:20-1-30)、小堀金城(後に少将:14-1-23)、小松崎力雄(後の少将:11-1-12)らがいた。同.12.25歩兵少尉に任官。'22.11.29(T11)陸軍大学校卒業(34期)。同期に岡田資(後に中将)、落合忠吉(後に中将:16-1-7)、中村明人(後に中将:14-1-18)、村治敏男(後に中将:25-1-48)、山本募(後に中将:12-1-25)らがいる。アメリカ駐在を経て、様々な要職に就き、途中で航空兵に転任した。
 '34.4.16(S9)参本作戦課航空班長、'37.9.8飛行第9聯隊長を歴任し、同.11.1航空兵大佐に昇進し、'38.6.30第2飛行集団参謀長に就任した。'40.3.9浜松飛行校教官を務めた後、同.8.1陸軍航空総監部教育部長 兼 陸軍航空第一本部部長に任ぜられる。
 同.11.28要務を帯び軍徴用機の日航定期便中島式AT機である榛名号に搭乗し、京城より新京に向い飛行。朝鮮黄海道碧城郡錦山面(韓国居金島)の上空にさしかかった際、濃霧と小雨のため進路を失い京城飛行場と無電連絡を取りつつあったが、悪気流帯を抜けきれず、不時着地を捜して飛行を続けるうち濃霧のため視界きかず、四時半海州東方郊外大谷橋北方五十メートルの山腹に激突、機体は火を発した。楠木ら乗組の6名は殉職した。享年47歳。急報により海州署員および同警防団員ら現場に急行し、6名の遺体は道立海州医院会議室に収容された。同.12.2少将に特進。功3級。金村黄海道知事、古市同内務部長、梁瀬海州府尹はじめ岡海州警察署長その他在郷軍人らのしめやかな通夜が行われた。

<帝国陸軍将軍総覧>
<日本陸軍将官総覧>
<1940.12.1大阪朝日新聞>


墓所

*墓石和型「楠木家之墓」。裏面「昭和十六年九月 宏 建之」。右側に墓誌があり、「従四位 勲二等 功三級」と刻み、戒名は大空院釋浄延。行年49才と刻む。妻はタマコ(H16.8.30 行年101才)。長男の楠木宏(H12.8.8 行年76才)は「従四位 勲四等 旭日小綬章」と刻む。墓所左側に「生」と刻む碑が建つ。裏面に「2002年8月吉日 令子 建之 宏 書」と刻む。


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