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かつむら ふくじろう

勝村福次郎

かつむら ふくじろう

?〜 1942.12.23(昭和17)

大正・昭和期の陸軍軍人(中将)、火薬製造法発明者

埋葬場所: 24区 1種 22側

 愛媛県出身。1915.5.25(T4)陸軍士官学校卒業(27期)。同期に青木政尚(後の少将:20-1-30)、楠木延一(後に少将:20-1-21)、小堀金城(後の少将:14-1-23)らがいた。同.12.25少尉に任官。1926(T15)硝化澱粉の製造法技術による火薬製造法の開発に成功し、岡田元と共に発明者として特許を出願。この製造法は出願公告せず、秘密特許に指定された。
 '38.3.1(S13)陸軍大佐となる。'39.3.9関東軍技術部長、同.11.1燃本附を経て、'41.8.25少将に昇進し、燃料廠研究所長に就任した。この年に太平洋戦争が勃発。'44.12.23逝去。死去に伴い1階級特進し中将となった。功4級。

<帝国陸軍将軍総覧>
<日本陸軍将官総覧>


*多磨霊園の26区側には浅間山(せんげんやま)がある。標高79.6メートル。1939.5.4陸軍燃料廠の設置が軍令陸乙第11号で発令され、その要員を陸軍兵器本廠に増置することになった。 東京の三宅坂の陸軍省内の一室に仮事務所を設置。同.7初代陸軍燃料廠長に長谷川基少将が着任。'40.2仮事務所は、小石川造兵廠跡に移転。 同時期に、陸軍航空本部(経理部)は現在の府中市浅間町1丁目の敷地を買収した。これは浅間山の頂上にある神社を残して、浅間山全体も買収された。この一帯に、1941.4から陸軍燃料廠がつくられた。浅間山の一部も燃料廠となった。
 1942.2.14陸軍の落下傘部隊が蘭印石油の主生産地のインドネシアのパレンバンを奇襲攻撃。結果、オランダ系のB・P・Mの精油所をほとんど無傷で、アメリカ系のNKPMを半壊の状態で占領した。陸軍は更に、同.3.11パレンバン北方三百キロメートルのジャンビ油田を占領した。
 この時期に、陸軍燃料廠の研究部長に就任していた勝村福次郎がパレンバンに派遣され、被害状況調査を行った。陸軍燃料廠でやられた研究は、以下のようなものです。 石炭を原料として人造石油を産出する、動植物油から航空潤滑油を合成する、松根油などからガソリンを得る。 天然ゴムを分解してガソリンや潤滑油を合成する。'43浅間山には横穴式の防空壕も掘られている。


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