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こまつざき りきお

小松崎力雄

こまつざき りきお

1892(明治25)〜 1970.3.3(昭和45)

大正・昭和期の陸軍軍人(少将)

埋葬場所: 11区 1種 12側

 東京出身。父は陸軍大佐の小松崎清職(同墓)。弟(3男)の赤松貞雄は東條英機の陸相・首相秘書官を務めた陸軍大佐(赤松久吾の養子)。
 1915.5.25(T4)陸軍士官学校卒業(27期)。同期に後に火薬製造法発明者の勝村福治郎(後の中将:24-1-22)、青木政尚(後の少将:20-1-30)、楠木延一(後に少将:20-1-21)、小堀金城(後の少将:14-1-23)らがいた。 同.12.25歩兵少尉に任官。'24.11.29(T13)陸軍大学校卒業(36期)。
 その後、様々な要職を経て、'38.3.1(S13)大佐に進み、東京幼年校訓育部長を任ぜられた。'39.8.1歩兵第22連隊長を経て、'40.12.3熊本陸軍幼年学校長に就任。'41.8.25少将に昇進し、'42.8.1第二次編成の独立混成第1旅団に着任。北支那方面軍直属部隊として河北方面・京漢鉄道沿線の警備と治安維持を担当、邯鄲で終戦を迎えた。
 '45.8.17警備を撤収し、同.9.10石門を経由し、同.9.20定県に到着し同地の警備にあたった。'46.1.12武装解除され、同.1.18定県を出発、同.1.20豊台徒手官兵管理所に入所した。同.1.27出発し翌日、天津貨物廠に集結。数次にわたり塘沽を出港、佐世保や仙崎に上陸し復員した。同.5.14に全兵復員完結。享年78歳。

<帝国陸軍将軍総覧>
<支那派遣軍復員本部の歴史>


墓所

*墓石は和型「小松崎家之墓」。右側に墓誌がある。戒名は實相院如是日力居士。父で陸軍大佐の小松崎清職の戒名は武徳院壽山清職居士。


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