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こぼり きんじょう

小堀金城

こぼり きんじょう

1894(明治27)〜 1974.7.14(昭和49)

大正・昭和期の陸軍軍人(少将)

埋葬場所: 14区 1種 23側

 和歌山県出身。1915.5.25(T4)陸軍士官学校卒業(27期)。同期に後に火薬製造法発明者の勝村福治郎(後の中将:24-1-22)、青木政尚(後の少将:20-1-30)、楠木延一(後に少将:20-1-21)、小松崎力雄(後の少将:11-1-12)、小西昌生(後に大佐:20-1-10)らがいた。卒業後、陸軍砲兵大尉に任官。 '25.11.27陸軍大学校卒業(37期)。同期に清水盛明(後に中将:5-1-25)、船引正之(後に中将:24-1-61)、吉岡安直(後に中将:3-1-14)、今田新太郎(後に少将:12-1-12-20)、二見秋三郎(後に少将:4-2-新26)らがいる。
 '38.7.15(S13)陸軍大佐となり、砲九聨隊長。'39第33師団参謀長、'40.12.2関東軍第一高射砲隊長'41.8.20第14野戦防空隊司令官、同年.10.15少将'44.3.1ジャワ燃料工廠長、'45.8.15終戦と伴に第5師団長代理を務めた。 第5師団は歩兵第11・第21・第41・第42連隊、野砲兵第5連隊などで編制され、開戦時は第25軍に所属してマレー作戦に参加、作戦終了後はマレー半島の警備に従事した。 その後、第19軍に編入、続いて第2軍に編入され、ニューギニアのセラム島で敗戦を迎えた。
 戦後に関しては不明。正5位 勲2等 功4級。享年80歳。妻は操子(-1985.10.13)。子は治(-1978.9.8 50)。

<日本陸軍将官総覧>
<帝国陸軍将軍総覧など>


墓地

*軍人関連の人名事典には名前が「小塀金城」として紹介されているものがほとんどであるが、ここでは墓石に刻む「小堀金城」とする。 また、墓石には「陸軍中将」と刻むが、どの文献を読んでも「陸軍少将」が最高位として書かれているため、ここは「陸軍少将」とした。

*墓は和型黒ミカゲ「小堀家之墓」。右面が墓誌となっており、小堀金城、没年月日、享年が刻み、その右側に「故 陸軍中将正五位勲二等功四級」と刻む。墓に並んで左側に小堀美恵子の墓が建つ。


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