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しみず もりあきら

清水盛明

しみず もりあきら

1896.8.24(明治29)〜 1979.4.3(昭和54)

大正・昭和期の陸軍軍人(中将)

埋葬場所: 5区 1種 25側

 愛知県出身。父は陸軍歩兵少佐の清水盛次(同墓)。1917.5.25(T6)陸軍士官学校卒業(29期)。同期に陸軍大将の井上幾太郎(12-1-7)の養嗣子の井上官一(後に少将:12-1-7)、浦山省二(後に大佐:9-1-19)らがいる。同.12.25砲兵少尉として任官し、野砲兵第14聯隊附となる。 '20砲工校高等科卒業し中尉。'25.11.27陸軍大学校卒業(37期)。同期に船引正之(後に中将:24-1-61)、吉岡安直(後に中将:3-1-14)、今田新太郎(後に少将:12-1-12-20)、小堀金城(後に少将:14-1-23)、二見秋三郎(後に少将:4-2-新26)らがいる。翌年大尉となり、野砲兵第3聯隊中隊長に任ぜられ、同年末に参本附勤務。
 '27(S2)参本部員、'30国際連盟随員を経て、'32少佐になり、'33山砲兵第11聯隊大隊長に着任。'34兵本附となり新聞班員として陸軍省のパンフレットを手がける他、『支那事変の処理と国際情勢』や『近代国防とソヴェート・ロシア』などの著作物を出すなど執筆作品を残した。
 '36中佐、'37.9.24内閣情報官。'38.7.15大佐になり、同.12.10陸軍省情報部長に就任した。'39.12.1から太平洋戦争終戦までイタリア大使館附武官。この間、'42.8.1少将に進級し、次いで、'45.4.30中将に累進。終戦後の年末に帰国。享年82歳。

<日本陸軍将官総覧>
<陸海軍将官人事総覧>


*墓石は和型「清水盛明家之墓」。左側に墓誌があり、清水家大先祖清水筑後守橘盛政第十二世清水保次郎第九代と刻む。清水盛明は「陸軍中将」と刻む。妻は慶子。また同墓には父で陸軍歩兵少佐の清水盛次(陸士旧9期 従5位 勲4等 功4級 M42.8.5没 48才 分骨)も眠る。


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