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ひろせ たけし

広瀬 猛

ひろせ たけし

1882.1.5(明治15)〜 1934.7.17(昭和9)

明治・大正・昭和期の陸軍軍人(中将)

埋葬場所: 11区 1種 8側 8番

 山梨県出身。若尾財閥に婿養子となった実業家・政治家の若尾璋八(11-1-10)は実兄。
 1901.11.22(M34)陸軍士官学校卒業(13期)。同期に中村孝太郎(後に大将、陸相)、建川美次(後に中将:13-1-2)、林桂(後に中将:7-1-1)、大家徳一郎(後に少将:12-1-10)、桜井忠温(後に少将:8-1-15)らがいる。'03.6.23陸軍歩兵少尉に任官され、'04日露戦争に従軍。'10陸軍大学校卒業(22期)。同期に杉山元(後に元帥:15-1-3-11)、西尾寿造(後に大将:16-1-8)、橋本虎之助(後に中将:13-1-7)、長尾穂次(後に少将:26-1-37)、長谷部照俉(後に少将:19-1-13)、水町竹三(後に少将:13-1-6)らがいた。参謀本部外国戦史課に配属。
 '20(T9)陸軍大学教官などを経て、'23歩兵大佐に昇進し、'24歩兵第55連隊長に就任した。'25兵科を航空兵科に転じ、航空兵大佐となり、飛行第4連隊長となった。 '27(S2)下志津陸軍飛行学校教育部長、陸軍教官を務める。'28少将に進級し、'29参謀本部第4部長となる。'32.4第5代 所沢陸軍飛行学校長に就任。同.12中将に累進した。'33.8.18 第31代 陸軍大学校校長となったが、現職にて逝去。享年52歳。

<帝国陸軍将軍総覧>
<講談社日本人名大辞典>


*墓石は和型「廣瀬家之墓」、裏面「昭和九年十月 廣瀬スミ 建之」。左側に墓誌が建ち、廣瀬猛から始まる。「陸軍中将 正四位 勲二等 功五級」とも刻む。妻はスミ(S46.1.30歿・行年85歳:男爵の鍋島幹の娘)。子息の誠二(R2.1.27歿・行年93)が刻む。誠二は父の猛が亡くなった翌年『広瀬中将遺稿』(1935)を編著している。


【多磨霊園に眠る歴代陸軍大学校校長】
初代校長児玉源太郎歩兵大佐1887年10月25日 -
 17代目大井成元少将1912年11月27日 -
 21代目宇垣一成少将1919年4月1日 -
 23代目田村守衛少将1922年2月8日 -
 24代目和田亀治中将1923年8月6日 -
 25代目渡邉錠太郎中将1925年5月1日 -
 26代目金谷範三中将1926年3月2日 -
 27代目林 銑十郎中将1927年3月5日 -
 28代目荒木貞夫中将1928年8月10日 -
 29代目多門二郎中将1929年8月1日 -
 31代目広瀬 猛中将1933年8月18日 - 1934年7月17日
 32代目杉山 元中将1934年8月1日 -
 35代目今井 清中将1937年8月2日 -


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