| 歴史が眠る多磨霊園 |
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建川美次 |
たてかわ よしつぐ | |
| 1880(明治13)〜 1945(昭和20) | |
大正・昭和期の陸軍軍人(中将) | |
| 埋葬場所: 13区 1種 2側 | |
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1901(M34)陸士卒業後、騎兵第9連隊付となり日露戦争に出征。 将校斥候(建川挺身隊隊長)としてロシア軍の背後を横断し、山中峯太郎(14-1-8-7)の「敵中横断三百里」のモデルになる。 陸大卒業後、イギリスに駐在し、のちインド駐剳武官。31(S6)三月事件の計画には参謀本部第2部長として加担し、 満州事変の挑発にも一役買った。32中将。 ジュネーブ軍縮会議に派遣され、33以降、第10・第4師団長を歴任後、 36年予備役、40〜42駐ソ大使、44〜45大政翼賛会総務を歴任した。 <コンサイス日本人名事典> *正面右側に建川美次碑が建つ。 | |
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