| 歴史が眠る多磨霊園 |
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小国英雄 |
おぐに ひでお | |
| 1904(明治37)〜 1996.2.5(平成8) | |
昭和期の映画脚本家 | |
| 埋葬場所: 22区 1種 135側 | |
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八戸市柏崎新町の母の実家玉内家で誕生。
八戸中学時代に同郷の友、松下正寿(後に参議院議員、立教大学総長)の兄正臣の影響で武者小路実篤の作品に傾倒し、小説を実篤に送るなど文学に目覚めた。
実篤の進めで横浜のバプテスト神学校(関東学院大学)に入学すると同時に弟子となる。
関東大震災に遭遇し帰郷するも、「大震災救援」のための演劇活動に精力を注いだ。
実篤の紹介で1929(S4)日活太秦撮影所に入社。主に阿部豊のもとで脚本を書く。処女作は「モダンマダム行状記」。
それ以後は注文が多く入るようになり、特に喜劇のシナリオを多く書いた。
この頃の代表作に「エノケンの法界坊」「エノケンの頑張り戦術」などがある。
一時期、本城英太郎の名で原作、脚本を手がけた時期もあった。
'39東宝映画監督して「ロッパ歌の都へ行く」「金語楼の親爺三重奏」を手がけた。
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