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わかお しょうはち

若尾璋八

わかお しょうはち

1873.7(明治6)〜 1943.1.10(昭和18)

大正・昭和期の実業家、政治家

埋葬場所: 11区 1種 10側

 山梨県出身。旧姓は広瀬。実弟に陸軍中将の広瀬猛(11-1-8-8)がいる。若尾財閥の婿養子。
 1893(M26)東京法学院(中央大学)を卒業後、若尾銀行東京支配人となった。 のち東京電燈に移り、常務取締役、副社長を経て、'23(T12)社長に就任。'30(S5)まで不況期の電力資本の中心で采配をふるった。
 この間、'17(T6)第13回衆議院議員選挙に甲府市区より立憲政友会から出馬し、衆議院議員に当選、以来3期務めた。 また'27.8〜'43.1(S2〜S18)まで貴族院議員に在任、犬養内閣の鉄道政務次官を務めた。享年71歳。戒名は大智院殿機外玄璋居士。

<コンサイス日本人名事典>
<森光俊様より情報提供>


*同墓には立正興業、三引商事社長を務めた若尾鴻太郎(わかお こうたろう)(1894-1953.4.10)も眠る。 若尾鴻太郎は'50富士山頂までモグラケーブルを引きケーブルカーで山頂まで行ける案を出願したが、死去により計画が消えた経緯がある。 この計画は、富士急社長の堀内一雄も申請を出すも、富士山は国立公園であるとともに、文化財保護法による特別名所にも指定されているため却下されている。戒名は鴻信院殿傑山観阿居士。

*娘の富美は、浅野財閥を築いた浅野総一郎の三男の浅野八郎(関東電工会長)に嫁いだ。

*同じく若尾財閥の娘婿として若尾銀行で活躍した若尾金造(14-1-9)も多磨霊園で眠る。


【若尾財閥】
 若尾逸平と弟の若尾幾造は横浜開港時に外国人相手に生糸の売り込み問屋で財を成し、京浜方面の銀行・企業の経営に参画する。 これにより、若尾財閥が築かれ、大きな勢力を持ったが、1913(T2)逸平が死去し求心性を喪失され、2代目の若尾民造も'17(T6)に死去したことで、人材の欠如を露呈した。 3代目の謹之助は義兄の若尾璋八の強引ともいえる事業経営展開に引きずられていった。 '27(S2)の金融恐慌(昭和恐慌)と東電問題により若尾銀行は破綻したのを機に、若尾財閥は崩壊していった。 なお、若尾逸平を含む代々の墓は甲府長禅寺にある。


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