| 歴史が眠る多磨霊園 |
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若尾璋八 |
わかお しょうはち | |
| 1873.7(明治6)〜 1943.1.10(昭和18) | |
明治・大正・昭和期の実業家、政治家 | |
| 埋葬場所: 11区 1種 10側 | |
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山梨県出身。若尾財閥の婿養子。1893(M26)東京法学院(中央大学)を卒業後、若尾銀行東京支配人となった。
のち東京電燈に移り、常務取締役、副社長を経て、'23(T12)社長に就任。'30(S5)まで不況期の電力資本の中心で采配をふるった。 <コンサイス日本人名事典>
*同墓には立正興業、三引商事社長を務めた若尾鴻太郎(わかお こうたろう)(1894-1953.4.10)も眠る。
若尾鴻太郎は'50富士山頂までモグラケーブルを引きケーブルカーで山頂まで行ける案を出願したが、死去により計画が消えた経緯がある。
この計画は、富士急社長の堀内一雄も申請を出すも、富士山は国立公園であるとともに、文化財保護法による特別名所にも指定されているため却下されている。戒名は鴻信院殿傑山観阿居士。
【若尾財閥】 | |
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