メイン » » » 若尾金造
わかお きんぞう

若尾金造

わかお きんぞう

1888.1.29(明治21)〜 1940.5.7(昭和15)

大正・昭和期の銀行家、実業家、基督教伝道師

埋葬場所: 14区 1種 9側

 甲府市相生町に相吉治七の4男として生れる。山梨県立甲府中学校を中退して若尾銀行に入社。若尾家の婿養子となる。同銀行監査役、本店地所部支配人の要職を得て、若尾財閥の支柱となる。 かたわら山梨山林合資会社無限責任社員、釜無川砂利株式会社社長、山梨消防協会幹事、山梨教育会幹事、体育研究会会長、甲斐山岳会会長、山梨県農会副会長、山梨県連合青年団副団長など県内の実業界、公共団体の指導者として活躍した。
 若尾銀行に入社して間もなく求道を始め、1911(M44)4月4日甲府教会で白石喜之助から受洗。 以来、甲府メソヂスト教会幹事・幹事長、定住伝道師。日本メソヂスト教会山梨部信徒代表、同東部年会代議員、同総会代議員、同財務局員、同信徒団常務理事などの責任を負い、時と才と財を宣教のために捧げた。 また農村厚生運動に使命を感じ、'28(S3)富裕な地位を投げ捨てて中巨摩郡田之岡村に退き、南岳荘を建設して農村伝道に努めるとともに、託児所、幼稚園、購買組合を興した。
 更に、神の国運動に共鳴して協力。'38東亜伝道会の伝道師として中国の太倉に渡り<憩いの家>を作るとともに、中国人被災者のために、給食・厚生・医療事業を興し、中国人教会と合同礼拝を持つまでに信頼を得たが、在中わずか1年8ヶ月でマラリアにかかり、急性肺炎を併発して急逝。

<日本キリスト教歴史大事典>
<MATHU様より情報提供>


*同じく若尾財閥の婿養子として活躍した若尾璋八(11-1-10)も多磨霊園で眠る。


関連リンク:



| メイン | 著名人リスト・わ | 区別リスト |
このページに掲載されている文章および画像、その他全ての無許可転載を禁止します。