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わかお とくへい

若尾徳平

わかお とくへい

1918.2.12(大正7)〜 1976.12.6(昭和51)

昭和期の脚本家、シナリオ作家

埋葬場所: 14区 1種 9側

 山梨県甲府市山田町出身。若尾財閥養子で銀行家の若尾金造(同墓)の長男。親戚に若尾璋八(11-1-10)がいる。建築家の黒川紀章の妻で女優の若尾文子は姪にあたる。
 慶應義塾大学法学部卒業。1950(S25)東横が配給した『続不良少女』の脚本家としてデビュー。 以後、東横を皮切りに、東映、大映、松竹、東京映画、宝塚映画、東宝、日活など多くの映画で脚本した。 '54吉川英治(20-1-51-5)原作、稲垣浩監督の『宮本武蔵』(東宝)で脚本を担当。この作品が、翌年のアカデミー賞の外国語映画賞(当時は名誉賞)に輝いた。 この時、宮本武蔵を演じたのは三船敏郎。武蔵の幼馴染みの又八役に三國連太郎、お通役に八千草薫も出演した作品である。 『宮本武蔵』、『続・宮本武蔵 一乗寺の決闘』(1955)、『宮本武蔵完結篇 決闘巌流島』(1956)と、宮本武蔵三部作の全ての脚本を手掛けた(脚本は監督の稲垣も共同)。
 その他、代表作は『旗本退屈男 唐人街の鬼』(1951)、『雪の夜の決闘』(1954) 、『あんみつ姫 妖術競べの巻』(1954)、『大江戸出世双六』(1955)、『婚約指輪』(1956)(石原慎太郎と脚本)、『柳生武芸帳 双竜秘剣』(1958)、『嵐を呼ぶ楽団』(1960)、『その夜は忘れない』(1962)など多数。 最後の作品はニューセンチュリー映画配給の『さくら盃 義兄弟』(1969)であり、生涯74作品の映画脚本に携わった。 その他、TVや舞台の台本なども手掛け、シナリオ作家としても活動。著書に『若尾徳平シナリオ集』(1978)がある。

<コンサイス日本人名事典>


*墓所は倉状であり屋根に十字架が建つ。正面「若尾金造墓」と刻み、右側に墓誌が建つ。


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