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ひらぬま みつひら

平沼光平

ひらぬま みつひら

1909(明治42)〜 1991.3.15(平成3)

昭和期の陸軍主計軍人(中尉)、実業家

埋葬場所: 14区 1種 2側

 若尾璋八(11-1-10)の4男として生まれる。平沼銀行頭取・日本木槽木管社長・下野煉瓦社長で神奈川県多額納税者・横浜市会議員を務めた平沼久三郎の養子となる。久三郎の妻で養母の藤野(同墓)は若尾民造の6女。璋八は民造の養子。
 慶応大学経済学部卒業。1937(S12)陸軍主計少尉として上海派遣軍司令部の経理部員を務めた。最終階級は陸軍主計中尉。
 戦後は実業家として昭和工機社長を務めた。正8位。

<人事興信録>


墓所

*墓石正面「平沼家墓」。左側に墓誌がある。墓誌の最初の刻みは養母の平沼藤野(1935.2.24没・享年42:慈明院賢徳證道紫彭大姉)。養父の平沼久三郎の刻みはない。次は平沼光平、妻の澄子(1919-2001.4.1:同墓)が刻む。

*澄子は実業家・政治家の大橋新太郎(1863-1944)の7女。澄子の祖父は出版社の博文館創業者の大橋佐平。兄(長男)の大橋進一は第3代博文館主で妻の蓮子は若尾民造の4女であるため元々遠縁。また兄(五男)で東宝映画専務を務めた大橋武雄の妻の いゆ は坪谷善四郎(1-1-2-4)の養女で、坪谷の養子の忠三の妻は武雄の母の妹。なお、平沼光平と澄子の間には1男1女。長男は平沼久典(S12生)で東宝東和株式会社代表取締役社長を務めた人物。長女は昭子(S13生)。


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