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わかお こうたろう

若尾鴻太郎

わかお こうたろう

1894.12(明治29)〜 1953.4.10(昭和28)

大正・昭和期の実業家

埋葬場所: 11区 1種 10側

 山梨県出身。若尾財閥関連の実業家・政治家の若尾璋八と清野(共に同墓)の長男。祖父に若尾民造。叔父に陸軍中将の広瀬猛(11-1-8-8)がいる。
 慶應義塾大学を卒業し、欧米各国を視察。帰朝後、1919.8(T8)東京電燈のトンネル会社として資本金二十万円で三ツ引電機商会を設立。東京・京橋区に創立したが、同年末に社名を三ツ引商事株式会社に改称。「三ツ引」の企業名は若尾家の家紋が「三ツ引」であったことに由来する。
 '21バグナル・エンド・ヒレス株式会社と提携し大阪や門司市に出張所、横浜に倉庫を設け事業を拡大させていった。'22増資して保険、土木、建築、雑貨等の事業展開をするため、三ツ引物産、三ツ引絹糸、三ツ引陶器、三ツ引保全を創立し社長に就任。同年、重役改選により東京商業銀行の取締役頭取に就任することにもなった。南洋貿易にも着眼し事業展開を図っている。29歳の青年実業家として多方面にて活躍した。
 父の璋八や鴻太郎含めた若尾財閥の強引ともいえる事業経営展開の勢いは、'27(S2)の電力戦と昭和金融恐慌により若尾銀行が破綻し、これを境に若尾財閥系会社は衰退していった。その後、中央電力、桂川電気興業株式会社、東洋モスリン株式会社等の重役に挙げられ、山市商事(株)社長を務めた。他に京浜コークス、名岐自動車の各取締役、共保生命保険会社監査役も務めた。
 '50富士山頂までモグラケーブルを引きケーブルカーで山頂まで行ける案を出願したが、死去により計画が消えた経緯がある。この計画は、富士急社長の堀内一雄も申請を出すも、富士山は国立公園であるとともに、文化財保護法による特別名所にも指定されているため却下されている。享年58歳。


*墓石は和型「若尾家之墓」。裏面は「昭和十三年七月 若尾璋八 建之」と刻む。右側に墓誌がある。戒名は鴻信院殿傑山観阿居士。


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