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はせべ しょうご

長谷部照

はせべ しょうご

?〜 1953(昭和28)

明治・大正・昭和期の陸軍軍人(少将)

埋葬場所: 19区 1種 13側

 山梨県出身。1903.11.30(M36)陸軍士官学校卒業(15期)。同期に今井清(後に中将:8-1-14-17)、谷寿夫(後に中将:13-1-21)、川岸文三郎(後に中将:3-1-24)、原常成(後に中将:16-1-10)、三毛一夫(後に中将:4-1-35)、板坂順治(後に少将:22-1-39)、大濱石太郎(後に少将:9-1-12-1)、中井武三(後に少将:12-1-10)らがいた。翌年歩兵少尉に任官。'10.11.29陸軍大学校卒業(22期)。同期に杉山元(後に元帥:15-1-3-11)、西尾寿造(後に大将:16-1-8)、橋本虎之助(後に中将:13-1-7)、広瀬猛(後に中将:11-1-8-8)、長尾穂次(後に少将:26-1-37)、水町竹三(後に少将:13-1-6)らがいた。
 1913(T2)東京外語露語専修科を了え、ロシアに留学。'14.9第一次世界大戦の勃発でロシア軍に従軍。'17.4露国出征軍従軍を免ぜられ帰国し、参謀本部員に配置された。 '18.6少佐に進級し、ロシア専門家としてシベリア出兵に伴う塩浦派遣軍参謀として出征に抜擢された。しかし、'20.4家事整理のため熟議を要する件があるとして塩浦に妻を招き、長期滞在させていたことが軍紀上問題とされて、重謹慎20日に処せられて、即座に歩兵第41連隊大隊長に左遷させられた。以後、ロシア関係の職務に就くことはなかった。
 '22.8中佐に進級し、第5師団参謀に補せられ、'24.8.20(T13)支那駐屯軍参謀、'25.8.7第16師団司附・京都帝国大学配属将校団の初代先任配属将校(軍事教練教官として服務)となる。 '26.3.2(T15)大佐に昇進。'27.5.24(S2)第37連隊長を務め、'31.8.1少将となり、歩兵第3旅団長に就任し、満州に赴任。同.9.18赴任直後に満州事変が勃発し、参戦し吉林省東部での戦いで勝利を収めている。'34.3.5待命、同.3.24予備。功3級。
 軍を退役後は満鉄調査部嘱託となり、'39『四股をふむロシアの今昔』(改造社)を出版。'42.9及び'43.6東條首相が左翼主義者弾圧を行った満鉄検挙事件で満鉄調査部が壊滅的状態となった後も大連に残り、大連西部連合会顧問を務めつつ、そのまま終戦を迎える。ソ連軍に逮捕されず帰国した。

<帝国陸軍将軍総覧>
<日本陸軍将官総覧>
<日本海軍特務士官大事典:本郷洋一>


*墓石は「長谷部家墓」。墓石裏面に「昭和十六年七月 長谷部照Ψ之」と刻む。墓誌はない。

*多くの人名事典では「長谷川」となっているが「長谷部」が正しい。


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