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このコーナーは、昔、若松城にあった16の郭門をシリーズで紹介します。昨年、ミクシーの日記に書いた文章を使います。

Column: 若松城郭門

「若松城郭門」

南町口郭門

若松城の郭内に入るための門の一つの南町口を紹介します。以前ミクシーの日記に書いた内容をそのまま載せます。.
2007年04月05日13:38 に書いたものです。

こんにちは。。
4月になって、何となく公私共に慌しいです。仕事は今日まで深夜勤務、昼夜が逆転してます。。
数日前は、黄砂で変な天候、黄砂がなくなったと思ったら、雪もちらつく位、気温が下がってしまって、春だというのに寒いです。深夜2時を過ぎると、一部凍結場所もありましたね。。変な天候、体と運転には充分注意ですね。。

このところ、交通事故が多発しておりますです。。
若松ー>http://www.fukushima-minpo.co.jp/news/kennai/20070402/kennai-200704020958230.html
喜多方ー>http://www.minyu-net.com/news/news/0404/news7.html
若松の当て逃げ犯は、逮捕されたようで、無免許の常習犯、、怖いですね。。。車も無車検、、、ということは、無保険??
喜多方の事故、、写真を見ても、何とも凄い事故だったようです。あの通り、街中の中心部、通行量も多いですが、道は狭いです。とても追い越しなんか出来ない道なんですけどね。。高齢のドライバーが前の車を無理に追い越そうとして起きた、重大事故であったようです。。一人がお亡くなりになったとのこと(業務中)、ご冥福をお祈りしたいですね。。怪我をされた方も数名、大変な事になったようです。

公道を使って仕事をさせてもらってる私たちであります。悲惨なこのような事故の記事を読んで、改めて安全ということ、思い知らせれましたです。。今日も無事に帰って来れるよう、祈りながら仕事をしたいと思います。。

春になると、急に町の中が慌しくなってきます。。気持ちも運転操作に表れて注意不足になりがち、死角の多い車を扱ってるわけで、気持ちも落ち着けていかなければと更に思いますね。。

さて、ちょっと休んでいた日記、若松城の郭門の紹介を再会したいと思います。。

今回は、南町口のお話です。。
この郭門、私が勤めてる会社の営業所に近い国道118号線上にありました。
minamimachi.jpg
写真1(現在の南町口付近)











minamimachi1.jpg
写真2->昔の地図、、

地図ー>http://map.yahoo.co.jp/print?lat=37%2F28%2F57.274&lon=139%2F55%2F46.457&layer=1&sc=2&size=l&pointer=on&memo=%CA%A1%C5%E7%B8%A9%B2%F1%C4%C5%BC%E3%BE%BE%BB%D4%CA%C6%C2%E5%A3%B2%C3%FA%CC%DC%A4%CE%BC%FE%CA%D5%C6%EE%C4%AE%CC%E7%C0%D7%C9%D5%B6%E1%02&mode=map
航空写真ー>http://map.yahoo.co.jp/print?lat=37%2F28%2F57.274&lon=139%2F55%2F46.457&layer=1&sc=2&size=l&pointer=on&memo=%CA%A1%C5%E7%B8%A9%B2%F1%C4%C5%BC%E3%BE%BE%BB%D4%CA%C6%C2%E5%A3%B2%C3%FA%CC%DC%A4%CE%BC%FE%CA%D5%C6%EE%C4%AE%CC%E7%C0%D7%C9%D5%B6%E1%02&mode=aero

この国道118号線は、昔は郭内の大町通りといったそうですが、どうもなじみがないですね。。この通りを北に向かうと右に西出丸とお堀が見え、左に日新館跡地に石碑があります。。近年、この通りの拡幅工事が行われ、車道も広くなりましたし、歩道も大変綺麗になりました。。写真1にも見えますけど、橋の欄干手摺りが残ってます。十八蔵橋跡の説明書きもあり、その東側に外堀跡が残っております。。外堀のなごりが残ってます。多分、ここだけだと思いますが、、外郭のなごり、市内を歩くと意外と少ないのに驚きますね。。宮崎十三八先生の書かれた「会津の史的な風景」には、史跡保存について心配されるコメントが書かれておりますね。。

会津史談会調査部編「若松城郭門」には、このように紹介されています。。
 『新編会津風土記』からの引用、大町通りについて、「甲賀町通の西に並ひ南は南町口より北は五之丁にて少し西に折れ大町口に出つ長十一町四十三間余幅八間家数二軒此街は郭内の大通なる故東西の丁に属する家は此通に向う」
南町口について、「此通の南端にあり南町に出る郭門なり番所東向」

この外郭を南に出たところを昔から南町と呼んでたようです。葦名時代、このあたりに暮露(ぼろ)が多く住んでいたので暮露小路とも呼ばれていたり、その南側には夫丸(人足)小屋があったとの事。
このあたり、日光口に通じ、郭内に入ったところには、藩の米蔵が並んでいたそうですが、湯川が近くにあったためか、高級官僚の屋敷も少なく、町の発展はあまりみられなかったそうです。。

暮露について、、http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=%E6%9A%AE%E9%9C%B2&dtype=0&dname=0na&stype=0&pagenum=1&index=17108600

毎日通る、この道ですけど、余り、紹介すべき史実は、少ないようであります。。昔の地図を見ると、郭外は、道も狭くそれほど大きな町でもなかったのかもしれません。。空き地も多いみたいですしね。。

以上、南町口の紹介でしたけど、余り面白いネタは無かったですね。近くには、旧米代四ノ丁に宮崎十三八先生のお宅があるんですが、その場所こそ、山本覚馬、八重子邸であり、記念碑が建てられております。。白虎士中二番隊の伊東悌次郎氏のお宅もこの近くにあったようです。。。
それと、、私も米代じゃないんだけど、、南花畑に住んでます。このあたりは、子供の頃から遊んでいたのであります。。大分変ってしまったです。米代四ノ丁は通勤ルートなんであります。。
minamimachi2.takase.jpg
最後の写真、、先日の会津の黄砂の状況を撮ってみました。上手く表現されてないですけど、遠くがかなり曇って見えましたですね。それに、車が大変汚れました。。

さてさて、これから18時から乗りますので、出勤準備に入ります。。今月から、予定表に勤務時間を入れてみました。。勤務時間時々忘れるので、携帯からもチェックできるので、これからつかってみます。。

今日も、安全運転で無事帰ってこようと思います。。

そうそう、、、私のアクセス、、皆様のお陰で現在9959であります。。次の10000に近くなりました。。大台に乗ったら、何かお礼も考えております。。


SNSのミクシーの会員であります「えむた」は、過去に色々と日記に書きました。その中で、紹介した内容をまとめてみます。

参考文献:会津史談会調査部・研修部(文化史講座)平成12年度11月2日、若松城郭門を訪ねて、時の配布資料から
町名歴史散歩・会津若松・町名の由来。小島一男著、歴史春秋社

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