kakumon



えむたの写真館

タクシーの車窓から見た風景





LinkIcon最近の大内宿

若松城にあった16の郭門をシリーズで紹介します。このページは甲賀町郭門です。現在、ここだけが、石垣が残っています。明治時代、かつてお城にあった鐘撞堂があったそうで、今も鐘撞堂という言い方が残っています。 この鐘撞堂は、現在はお城に戻され、時間になると自動で鐘が鳴るようになっています。

Column: 若松城郭門

「若松城郭門」

甲賀町郭門

若松城の郭内に入るための門の一つの甲賀町郭門を紹介します。以前ミクシーの日記に書いた内容をそのまま載せます。. 2007年03月04日15:12 に掻いたものです。

kohkamachikakumon.jpgこんにちは。。。
このところ、会津も暖冬で雪も無いし、あまり面白い事が無いんですね。。町の中もそんなに変わったところもないし、ちょっとネタ切れ気味なので、先日、偶然見つけた親父が残していった「会津史談会」の文化史講座の資料、会津史談会調査部編「若松城郭門」と云う資料をもとに、16ある町の郭門を紹介してみようと思います。。知ったかぶりの日記になりそうですけど、、、(-_-;)

今日は、第一日目、加藤氏、松平氏時代にメインの郭門だったと言われる、甲賀町郭門を紹介します。

現在の状態ですけど、一方通行の甲賀町通りをお城に向かった行くと、一ノ町の交差点をさらに南へ向かうと左カーブするところの向かって右側に石垣があります。これが甲賀町郭門の石垣であります。説明するまでも無いのですけど、現在は、右側のみが残っていて、明治時代にはこの石垣の上に鐘撞堂があったそうで、現在でもこの場所を「鐘撞堂」といっても通用する場所として知られております。。(写真1)
地図LinkIcon
kohkamachikakumon2.jpg (写真2)をご覧ください。上記資料をそのまま撮ったのですが、昔の地図であります。。(写真3)は、その資料に載っていた当時の風景画です。。写真なんて無かったわけで、このような物が重要な資料となるのだと思いますが、昔のイメージ分かりますでしょうか??現在の地図と見比べてみてください。。なんとなく外堀の位置と昔の郭門のあたりがわかるかと思います。。

このあたりは、それほど昔と変わってないようであります。。それにしてもこのあたりは、戊辰戦争でほとんど焼失した場所であります。おそらくこの石垣だけが残ったのでありましょう。。外堀も埋め尽くされて、まったく面影もないですね。。。

この外堀から、内側を内郭、外側を外郭と言ったことはご存知だと思いますが、内郭の武家屋敷が立ち並ぶ町並みの道筋と外郭である町民町の道筋の違いがこの地図で分かりますでしょうか??かなり角度が違うようです。。

この文献でも紹介されておりますが、戊辰戦争時は、市街戦としてはかなり激戦となった場所として知られております。。悲劇も沢山あり、なんと云っても気の毒なのは、ここの門番をしておられた佐藤与左衛門氏(六石二人扶持、当時74歳)とその孫の佐藤勝之助(14歳)のお話であります。。これは当時の土佐藩士の手記によるものでありますが、東軍がお城を目指しこの地に来た時、70歳くらいの老人が勇敢にも槍で一人を刺し、もう一人を槍の石突でもう一人を突いて、何とか郭内への侵入を拒もうしたようですが、すぐにこの老人は土佐藩士に射殺られてしまったようであります。それを見て今度は、直ぐに14、5歳の少年が現れ、槍をもって立ち向かってきたようでありました。若いので生け捕ろうとしたようしたのですが、この少年、勇敢にも東軍の一人を槍で打ち倒したため、やむなくこの少年は東軍に射殺されてしまったとの事でありました。この土佐藩士の手記に出てきた二人が先に紹介した佐藤老人とそのお孫さんの話であります。。
この少年、大変気の毒で、首を跳ねられ、その日の夜の土佐藩の宿泊先での酒盛りの時に大皿にその首を載せておかれたそうであります。。
これも有名な狂歌ですが、、「愉快極まるこの夜の酒宴 中にますらお美少年」、、、、、、、、、、、、、(ーー;)

その他色々なことが、当時この場所で繰り広げられたんであります。。白虎士中一番隊も8月23日には、この甲賀町郭門を死守すべく三宅邸(家老)にこもって、勇敢に戦ったんでありますね。。

この地に付いては、他の方も大変詳しく説明されております。。
マイミクの呆嶷さんのサイトからの引用写真です。。
呆嶷さんのサイト
http://homepage3.nifty.com/naitouhougyoku/sub4sinai.htm#kakumon

有名な観光史跡なので、私の説明はこれくらいに致します。。

次は、その近くの馬場町口を紹介します。。。

今日のえむたは、これから17時30分から明日の7時30分まで乗ります。。夜の仕事ですが、日曜の夜なのでそれほど忙しくないと思います。。でも、でも、安全運転で無事に帰ってこれるようがんばってきます。。。

*誤字脱字や左右の間違いなどがあり、スイマセン。(-_-;)
書き直しましたが、何かご指摘の件がありましたら、ご指摘いただければ幸いです。。(3月5日、13時)


SNSのミクシーの会員であります「えむた」は、過去に色々と日記に書きました。その中で、紹介した内容をまとめてみます。

参考文献:会津史談会調査部・研修部(文化史講座)平成12年度11月2日、若松城郭門を訪ねて、時の配布資料から
町名歴史散歩・会津若松・町名の由来。小島一男著、歴史春秋社

史跡紹介トップへLinkIcon