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このコーナーは、昔、若松城にあった16の郭門をシリーズで紹介します。昨年、ミクシーの日記に書いた文章を使います。

Column: 若松城郭門

「若松城郭門」

川原町口郭門

若松城の郭内に入るための門の一つの川原町口郭門を紹介します。以前ミクシーの日記に書いた内容をそのまま載せます。. 2007年03月21日01:47 に書いたものです。

こんばんわ。。m(__)m
 このところ、マイミクの皆様のうち、風邪をひかれている方が多いような気がします。この時期、暖冬とはいへ、やはり寒い冬を越してきて、間もなく春がもう直ぐの季節、私もそうでしたけど、ちょっと疲れがピークになるのでありましょうか??風邪を受け入れやすいような気がしますね。。

 私も風邪をひいてしまい、なかなか、本調子になれないでいます。。仕事中は、風邪の薬は眠くなるので飲まないでいますが、家に帰ると食事後、服用しています。そのためか、直ぐに眠くなってしまって、直ぐに寝てしまうんですね。。そして、深夜に目が覚めてしまってます。。。
よいのか悪いのか、睡眠は、家にいる間は取れています。。

ただ、、、、ミクシーの日記や返事が、、、書けないでいました。。タイミング良く、返事、コメントが出来ず申し訳ありません。。徐々に、戻していきますので、よろしく願いします。

若松のお城の郭門、なかなか、タイミングよく写真が撮れないのですが、今日は、ちょっと飛んで、河原町口の写真が撮れたので、ここを紹介します。。
kawaramachikuchi.jpg
河原町にも郭門があったとは、、正直気がつきませんでしたです。。
写真1付近、ちょっと変わった交差点になっていますね。三角屋さんのスクランブル交差点から南に向かうと若松3中へ向かう道路と材木町に向かう道路に分かれる信号つきの交差点付近が河原町口だったようです。







kawaramachikuchi1.jpg
写真2(昔の地図)を見るとクランクになった入口だったようであります。ヤマゴ㈱様付近がカーブした道になったのは、何故かわかりませんが、融通寺町からの道と材木町へ行く道を繋げる為に、このような道になったのか??ちょっと、不思議な感じもします。。この付近の外堀の形跡はまったくないですけど、米代一之丁や中河原町のなごりは残っている感じです。。
*地図のデータが、上手くいかないので、後ほど入れます。。
ヤマゴ㈱様の南側、薬屋さん付近が河原町口のようです。
LinkIcon現在の地図
この付近、北側の融通寺口では、色々な事件の記録はありますが、なぜか、この河原町口の記録は少ないようであります。「町名歴史散歩」には、、米代一之丁の西側で融通寺町を横断し、川原町に出る郭門である。、、また、
会津史談会調査部編「若松城郭門」の文章には、、、、、
郭外河原町の変遷、、、寛永の頃までは、湯川の流れに沿って町並みが南北に並んでいたが、同八年(1631)十月、湯川の流れと外濠が一つの流れになるほどの大洪水におそわれ、街並と郭門は流出、二十一人の死者を出した。このため、復興後の河原町新町は、橋のたもとから西に並ぶ東西の通りに変わったが、町名はもとのままの河原町と呼ばれた。。湯川にも長さ十五間(27メートル)幅三間(5メートル)、両側に手摺りのついた橋が架けられ、大橋と呼ばれた。。
若松の地形は東高西低で、この郭門の屋根の高さと、天寧寺町口郭門の基礎の高さとは、同じ高さであったといわれる。。

、、、と紹介されています。。。
この郭門、江戸時代初期は、会津西街道(下野街道)の入り口でもありましたので、栄えた時期もあったと思われます。。

河原町口の紹介は、これくらいにします。。
なんか、写真の関係で、なかなか、順序良く紹介できなくて、申し訳ないですけど、、ここまで読んでくださった方、、誠にありがとう御座いました。。。

今日は、朝7時30分から21時まで乗ります。彼岸の中日、春分の日の出勤であります。たぶん、それほど、忙しくないと思いますので、、色々と写真を撮ってみたいと思います。。彼岸獅子に遭遇するといいんだけど、、、
takakuakabeko.jpg
最後の写真、昨日の朝撮った、高久工業団地付近にある、赤べこ公園です。。朝のうちは、ご覧の通りの雪化粧、、昼になると解けてしまいました。。。今日の朝は、どんな景色が見れることやら、、

それでは、お休みなさいませ。。













SNSのミクシーの会員であります「えむた」は、過去に色々と日記に書きました。その中で、紹介した内容をまとめてみます。

参考文献:会津史談会調査部・研修部(文化史講座)平成12年度11月2日、若松城郭門を訪ねて、時の配布資料から
町名歴史散歩・会津若松・町名の由来。小島一男著、歴史春秋社

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