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このコーナーは、昔、若松城にあった16の郭門をシリーズで紹介します。昨年、ミクシーの日記に書いた文章を使います。

Column: 若松城郭門

「若松城郭門」

徒之町口郭門

若松城の郭内に入るための門の一つの徒之町口(不明門)を紹介します。以前ミクシーの日記に書いた内容をそのまま載せます。.
2007年03月26日23:30に書いたものです。

今日は、月曜日、8時から17時30分までの勤務でありました。
朝、出社して、何時もの通り、車の点検の為、車の周りを見渡すと凄く汚れてるんですね。。ボディー、ガラス、全てが黄色い細かい粉のようなものが付着していたので、水洗いしました。。花粉なのか黄砂なのか、、ヽ(~~~ )ノ ハテ?-であります。。
綺麗にしたはずの車が、日中、また、汚れてしまいました。。それに鼻がむずむず、、、外は、かなりこの何だか分らない粉塵に見舞われている様でありました。。恐らく洗濯物も汚れたでありましょう??他の地域では、いかがでありましたでしょうか??

 今日は、市内のみの仕事となりました。。何故か、城前団地内を走ることが多く、何時も通り細い道、この付近に郭門跡があるというので、ちょっと散策しながら走りました。。
kachinomachikuchi.jpg
 一寸前の写真なんですが、写真1のところ、見覚えありませんか??会津工業高校の入り口付近から、長丁(徒之町)を東へ向かうと以前公証役場があった一時停止の標識がある交差点に至ります。その交差点を右折し南に向かうと城前団地へ行く事ができますが、、その途中左にカーブした先で丁字路になりますが、写真1はその付近を撮ってみました。。
 実は、なんとこの付近が、徒之町口の跡だったんですね。。蒲生時代から保科正之時代は使われていたようですが、松平時代にかけては、不明門(開かずの門)だったようであります。
 「陸奥之内会津城絵図」が江戸幕府の命により描かれて、幕府に提出された(1646、保科正之公時代)には、ちゃんとこの門が描かれていたそうですが、その後の「新編会津風土記巻之十三」(1809年完成)には、「此通の北端より西の方、本三ノ丁に折れ徒町に出る郭門なり、今不要なる故鎖して往来を禁す」と書かれてます。。理由は書かれてないです。。写真二の昔の地図も、成願寺通りに繋がる道が無くなってしまってますね。。
kachinomachikuchi1.jpg
 このあたり、戊辰戦争時の史実の記事、ほとんど無いと思われますが、、当時はどんな感じだったのでありましょうか??

 この付近は、明治40年頃、若松連隊(65連隊)北門になったとのことであります。。今やその面影はありませんが、、、

地図=>http://map.yahoo.co.jp/print?lat=37/29/19.383&lon=139/56/28.195&layer=1&sc=2&mode=map&size=l&type=&memo=%CA%A1%C5%E7%B8%A9%B2%F1%C4%C5%BC%E3%BE%BE%BB%D4%C5%CC%C7%B7%C4%AE%A4%CE%BC%FE%CA%D5%02
航空写真=>http://map.yahoo.co.jp/print?lat=37%2F29%2F19.383&lon=139%2F56%2F28.195&layer=1&sc=2&size=l&pointer=on&memo=%CA%A1%C5%E7%B8%A9%B2%F1%C4%C5%BC%E3%BE%BE%BB%D4%C5%CC%C7%B7%C4%AE%A4%CE%BC%FE%CA%D5%02&mode=aero

このあたりの核門、蒲生時代は、前に書いた天寧寺町口が大手であったので、この周辺に門を作ったんだと思います。。その後、加藤時代に入ってからは、甲賀町口が大手になったので、余り使われなくなったので、この門も開かずの門になってしまったのかもしれません。。近くの宝積寺口郭門の開かずの門だったようです。
これは、次回紹介します。。

今日紹介した郭門、余り面白い話で無いかもしれませんね。。でも、車で通ってみると、ちょっと、昔を思わせる雰囲気のある通りなんですね。。。この通り、お城前の本一ノ丁や甲賀町通りが混雑してるとき、このルートを抜け道として使う事があります。。狭い道でですけど、混んでいるときはなかなか便利であります。。

以上、開かずの門、徒之町口郭門のお話でした。。

明日は、7時30分から23時30分まで乗ります。。明日はどんな一日になるか、、安全運転で頑張ります。。

もうそろそろ、人事の発表だなあ。。。ちょっと、不安だなあ。。

写真3、蒲生時代の大手、廊下橋
rohkabashi.jpg


SNSのミクシーの会員であります「えむた」は、過去に色々と日記に書きました。その中で、紹介した内容をまとめてみます。

参考文献:会津史談会調査部・研修部(文化史講座)平成12年度11月2日、若松城郭門を訪ねて、時の配布資料から
町名歴史散歩・会津若松・町名の由来。小島一男著、歴史春秋社

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