鶴ヶ城郭門について
鶴ヶ城郭門
会津若松市内を歩いていると、外堀のなごりや郭門と云われるお城に入るための第一関門みたいな門の史跡は一箇所くらいしかありません。かつては16の門があったそうですが、誠に残念であります。
市内甲賀町通りと一ノ町通りとの交差点、パティオビル(通称ゴリラビル)のある所から甲賀町通りをお城に向かって南に進むと甲賀町郭門跡の西側だけの石垣が見られます。明治時代、この石垣の上に時刻を知らせる鐘撞堂があったので、今でも「鐘撞堂」と云われおりますが、史跡として郭門の残りが残ってるのここだけです。外堀の名残は、南町門跡付近に十八倉橋の東側欄干が復元されてて、その東側にちょっと外堀らしき窪地があるだけです。
16も郭門があったなんて今では不思議なくらいなんですが、何処が郭門だったのか、興味が沸いてきたんであります。せっかくタクシーで町を流してるんだから、走りながら調べるのも面白いかなあと思ったんであります。
幕末のお話のように興味深いお話ではないですけど、よろしければご覧ください。文章は、昨年、ミクシーの日記に書いたものをそのまま載せました。
参考文献
- 町名歴史散歩、歴史春秋社、小島一男著
- 町名の由来ーおらが街のミニ歴史、会津若松教育委員会
- 平成12年度文化史講座、若松城郭門を訪ねて、資料
- 会津の史的な風景、歴史春秋出版、宮崎十三八著
更新履歴
2008.10.30 |
サイトの構成を変更しました。
鶴ヶ城郭門のサブページを作りました。
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