だぶる厄MAN 椎間板ヘルニアと深部静脈血栓症の闘病記+α
アドバイス

1. 入院準備物
2. ミエロ検査
3. 入院計画書
4. 手術の前に
5. ベッドの高さ
6. 高額療養費
7. リハビリ-1-
8. リハビリ-2-
9. 治療費明細
10. 手術を受けた理由
11. 硬質コルセット
12. 軟性コルセット
13. リスクマネージメント
14. 曲がりません
15. DVTに要注意!
16. 洗顔は辛い!
17. 重い荷物
18. 関節痛
私が手術を受けた理由 


これを語るには、やはり私の年齢を正直に告白しなければなりません(苦笑)。
おまけに、日常生活を送る上での生業も付け加えた方が、症例報告としてはより適切なのでしょう。
しかししかし。
他のページでは散々くだらぬ文章を書いているので、年バレはこの上なく恥ずかしい。
例え、ネット上で任意のハンドルネームで匿名を名乗っていても、なのです。
このページをご覧になる方々には、どうか温かい目で私を見守って欲しいと願うばかりです(笑)。

それでは、何から明らかにしていきましょうか?(涙)

「腰椎椎間板ヘルニア/はじめに」で述べたように、症状がはっきりと出たのはこれが切っ掛けでした。

以下抜粋、『......両手にビジネスバッグと資料を抱え、肩には3泊4日分の着替え類が詰まったバッグを掛け、 ホームに滑り込んでくる電車に乗り遅れまじと階段を駆け上がっている最中に悲劇が起きました(大袈裟)。 階段を一段飛ばしで快調に駆け上がっている途中で、急に腰の辺りから力が抜け、 その場に崩れ落ちてしまったのです。......』 (*詳細は、「腰椎椎間板ヘルニア/はじめに」をご参照下さい)

時は2000年、椎間板がひとつ完全に潰れてしまった38歳の秋でした(自爆)。

それからは腰の痛みだけではなく、同僚からの容赦ない冷淡な視線や言動に精神的に参る日が続いたものです。重いものが持てない、長時間の作業には身体が持たない、時折走る激痛に耐え切れずつい口をつく痛みの言葉には鬱陶しく思われてしまうのです。
しかも、時に出勤できずに休んでしまうことにはあからさまに蔑みの視線や態度を感じるなど、いくらこちら側が冷静に見ても決して同情的なものは全く感じることがなかったのです。

救いは、所属長が同じく永年の腰痛持ちであったが為に、私の辛さが手に取るように分かっていただけたようで、お陰で男性社員の一部にはかなりの気遣いをいただくことができたのは少なからずの幸いでした。
また、私の意を汲んで動いてくれる部下にも恵まれ、職務の大幅な縮小にも表立った反抗勢力が見受けられなかったことも随分と助けられたものでした。
こうしたバックアップを受けることができない方々のほうが多いと思うのですが、これがあるとないとでは大きく違ってきます。

さて、症状が改善することなく更に酷くなってきたことから、友人の勧めを受けて病院を変えることとなりました。
所謂、ゴッドハンドがそこにおられると言うので、ここ兵庫某市内から京都市内まで約2時間は掛かるのも厭わず通院することにしました。 (注;ゴッドハンドとは、手技が『上手い・速い・傷痕が綺麗』である医師に対する賞賛の意を込めた呼称のようです。)
この時点で、先行きは分からないながらも、当然、胸中にはおぼろげながら手術を受ける覚悟はありました。

そして、あの忌まわしい事故?があった日から1年が過ぎ、私もまたひとつ歳を取っておりました。
残念ながら私の主治医はそのゴッドハンド医師ではなかったのですが、脊椎系では有名であるらしくここはじっくりと任せてみようと思ったのです。

ところで、私の生業ですが、実は普通のホワイトカラー(営業部門管理職)なのです。
自動車で毎日得意先周りをするのではなく、電車やバスを使っての巡回ですから、デスクワークが多い方々よりは足腰は強いと思われます。但し、出張に出ることが多く、忙しい時には月に4日ほどしか自宅にいないということが続くこともありました。
出張ですから、資料の他、身の回り品などで荷物が増える度に重量も加算され、身体には厳しいことが多かったですね。それに、休日は身体を休めることだけが唯一の楽しみであったのですから、若かりし日々に鍛えた身体を酷使するだけで、気が付かぬ内に筋肉が衰えていったのかも知れません。
主治医の所見では、私の年齢でこのような状態になるのは非常に珍しいということでした。

年齢や生業を紹介し終えたところで漸く結論となるのですが(お待たせいたしました;苦笑)、
脊椎疾患専門医の診察を受けた時点でも、「失敗すれば下半身不髄」という言葉がちらついて仕方なかったものでした。しかし、ここは例のゴッドハンドが健在である病院であるからには、その技術が伝承され、手術成績はきっと良いに違いないという想いが私にはありました。正に、信ずるものは救われる、のような。

では、私が手術を受けた理由を箇条書きにしてみましょう。

・勤務先のバックアップが約束されたこと(これが一番大きいかも)。
・前病院とは違い、診察する医師に自信と余裕が見て取れたこと。
・手術件数が多いこと(数をこなす方が上達するという一般的な見解)。
・腰の手術は簡単であるという雰囲気が外来のナースにも見受けられたこと(非常に慣れている)。
・「何故手術をしなければならないのか」と、納得できる恐怖の(苦笑)説明があったこと。
・そして、このままではいずれ動くことができなくなること、排便排尿障害が早晩出現すること。

痛みを放置して動けなくなるまで中途半端な状態をいつまでも引っ張って頑張り通すのか、或いは完全に痛みが取れることはなくとも、今手術しておくことが例え休業期間をおいても将来的にまたバリバリ働くことができること、そのいずれを選択するのか?

要するに、「まだ若いのだから、ここで手術をしておきなさい。」との強い勧めがあったわけです。
確かに主治医の仰る通りです。
それよりも恐怖を感じたのは、放置することで潰れ出た椎間板によって圧迫された神経が麻痺してしまい元に戻らない可能性もあること、また近い将来に排便排尿障害が出現するというものでしたね。

実際、後に分かったことですが、入院してから知り合ったある60代の方はほぼ私と同じ症状で既に排便障害があり、便通が自力でできず手術前までその苦しみを訴えておられたものです。

結局、散々悩んだ挙句ではありますが、手術に踏み切って良かったと思っております。
ネジと鉄板が入った感覚はまだしっかりと腰に感じますが、ちょっと身体が曲がり難くなったこと以外は、痛みもなく以前の不自由さは完全に無くなりました。
また思わぬ副産物として、ちみちみっとお恥ずかしいのですが、敢えて申し上げることにいたしましょう。
手術前にはトイレに行っても残尿感があり、ちょろりと漏らすことがあったのですが、これが見事綺麗さっぱり消えたことには驚きでした。
やはり、原因がわからなかっただけで、こうして既に症状が出ていたのでしょう。

最後に、私は良い医師に恵まれたのではないかと思っております。
先生、本当にお世話になりました!

......と言っても、これからも継続的な経過観察は続くので、転勤しない限りはまだまだお世話になりますね。
もしも転勤、或いは開業してしまったら、次の先生、お世話になります(笑)。



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