だぶる厄MAN 椎間板ヘルニアと深部静脈血栓症の闘病記+α
治療記録

1. はじめに
2. 主な症状
3. 原因
4. 検査方法
5. 治療方法
6. 続発症
7. ロングフライト血栓症
8. 日常管理
9. そして......
10. 急性期経過
11. 7/10/2002現在
12. 9/4/2002現在
13. 2002.11.現在
14. 2003.3.現在
15. ストッキングの末路
16. 2003.8.現在
17. 2003.12.現在
18. 2004.5.現在
19. 2004.7.現在
急性期の経過、2002.1.10まで

腰椎椎間板ヘルニアのコーナーに掲載した入院記録からの、
深部静脈血栓症に関わる部分を抜粋いたしました。
以下は、発症から急性期治療についての記録です。

2001/12/3(mon) 腰椎椎間板ヘルニア後方固定術を受ける。

12/12(wed) 術後両膝の内側に疼痛を感じ、それがやがて右脹脛痛に変わり、疼くような痛みと共に 強烈な灼熱感に変わってきているのであった。
夜も碌に眠れない......。
12/19(wed) 部長回診時に、先週に引き継いで、再び右足脹脛の症状(痺れ、灼熱感、疼痛、皮膚が赤い、等)を訴えると担当の研修医が飛んできては、 経過を見させて欲しいと言う。

12/20(thu) 主治医より、週末仮退院(外泊)にて自宅で様子を見てみるようにアドバイスされる。

12/22(sat) 外泊。

病院前でタクシーを拾って京都駅に着き、ホームに上がる途中から右足の具合が急に悪くなってきたことに気付く。脹脛の痛みが強くなってきているし、妙に重くだるく感じるようになる。
電車を乗り換え、自宅付近まではバスに乗り、2時間弱をかけて自宅まで辿り付いた頃には、既に脹脛の痛みは限界で足を引きずるように歩く。おまけに、灼熱感がよりひどくなり、ジーンズと肌が擦れて痛みはより激しくなれば、履いているジーンズの上から感じる風にも激烈な痛みが生じるようになった。

12/24(mon) 外泊から病棟に戻る。

次第に脹脛に強い張りを感じるようになり、病院に戻る日の朝には、右足の脹脛がパンパンに腫れ上がってしまっていた。
緊満痛や疼痛、そして脹脛のだるさの為に右足を引きずるように歩かなければならず、また灼熱感の為に衣服が肌に擦れただけで激痛を感じる。
消灯後も疼痛や痺れの為に眠れず、仕方なく鎮静剤(レンドルミン)を処方してもらうが、効き目なし。

12/25(tue) 主治医回診。「脹脛の血行障害の疑いあり。要経過観察。」

12/26(wed) 当日の部屋番ナースが足を高く上げる為の枕を持って来てくれた。
右足を枕に乗せ横になっていると脹脛の腫れが収まり少し楽になった。
冷シップも処方してくれたが、これは効き目なし。

午後、部長回診。
問診の後、触診にて血栓症の疑いを持つ。
至急、血管専門の外科医に診察を依頼。
エコーで膝下の血流を診るが、太い静脈の流れがモニターに映し出されない。

・病棟のトイレ往復以外は歩行禁止、それ以外の移動は車椅子を使用。
・大便は洋式に限定。
・入浴禁止。
・喫煙不可。
・1週間の安静。
・納豆禁止(抗凝固剤の効果を低減させる為)。

以上の指示が出た。

そしてヘパリンの48時間連続点滴が開始される。
点滴落下速度自動管理機能付きの装置が私のお友達になった(笑)。

12/27(thu) 本日よりワーファリン3錠、朝食後に内服を開始 
(クリックすると別ウィンドーが開きます。参照後はウィンドーを閉じてください。)
そして静脈造影検査。

結果、右足下肢に2箇所の血栓(深部静脈血栓)を確認。
生成に約3週間を要しているので、投薬しても完全に溶け切らぬ可能性あり。

12/28(fri) 起床後と就寝前の、脈拍、検温、血圧測定、血中酸素の測定等が始まった。
この日は採血のおまけ付きで、何だか仰々しい雰囲気ではある。

外科外来にて診察とエコー検査を受ける。
医師の話によると、血栓は静脈血栓症になる可能性が高いが、 新たに静脈のバイパスが形成されている様子が見て取れるというものであった。

続いて、昨夜、左胸のあたりがチクチクと弱い痛みを感じると訴えたので、 今日の午後から肺シンチ検査(RI診断)を受ける羽目になってしまった。
結果はシロ。

外来を終えた主治医が経過を伝えに来られた。 血栓吹き飛ばし術等があるが効果への期待は薄い、と。 1週間はベッド上での安静が必要である、と。 退院はこの様子を見て1月半ば頃まで延期しましょうとの判断が下る。
そして、ヘパリン48時間連続点滴が再開されてしまった......。
合わせて、連続96時間!(号泣)
しかも、私が少しでも動こうとするものならナース達が飛んで来る。
「動いちゃダメでしょっ!」と。

12/30(sun) 96時間にも渡る点滴が外れたので、夜巡回に来たナースに
「煙草吸ってもいいかな?」と聞いてみた。
すると烈火の如く怒り出したのである。
「ヘパリンが終わっただけで、
 ま〜だいっぱい点滴打たんといかん人がな〜にゆ〜てんのっ!!
 そんなん全部の点滴終わってからゆ〜てくれるっ!?(激怒)」

つまり、血栓の怖さを知らないのか?!
脳梗塞、肺塞栓(ナースは肺梗塞と言ったが)、心筋梗塞の恐れがあるのに
許可できるわけないだろっ!......とのことである。
長休開けの1月4日に診察があるから、それまで大人しく寝ていなさい......と。
余りの剣幕に返す言葉がなかった。

そんな状態なのか。
下手をすると私は死んでしまうということなのか?
不安と苛立ちが増すと共に、自分の身体の中で起こっていることに恐怖を覚えたのであった。

因みに。
消灯後、私が言うことを聞かずに喫煙所に脱走しているのではないかと、
通常にはない午後10時の病室の巡回があった。私のベッドだけ(涙)。

12/31(mon) 何とも侘しい年の瀬である。
今日明日と、ノバスタンとウロキナーゼの点滴の予定にうんざりする。

2002/1/4(fri) 外来が再開され、早速血管外科で受診することとなった。
結局、奮闘努力の甲斐もなく、血栓は全くと言って良いほど溶けてはいなかった。
今後は半年間に渡る経過観察とワーファリンの内服が必要となる。
そして、血流促進のための弾力性ストッキングの着用が義務付けられてしまった(涙)。
早い話が、深部静脈血栓症ということである。
......これにはショックが大きかったな。
下半身を手術した患者に多い合併症らしいが、何故にこの私を見舞ったのか。
交通事故に巻き込まれたと考えて自分を納得させる以外に方法が見つからない......。

私の落ち込みは激しかった様子で、担当日勤ナースの口から他のナースへと伝わったようだ。
それぞれが心配してくれているのだが、 動揺した私の心には上手く伝わらなかったのもまた事実である。

1/8(tue) 弾力性ストッキング到着 
(クリックすると別ウィンドーが開きます。参照後はウィンドーを閉じてください。)

リハビリ以外に何のイベントもない今、日中は何もすることがないのである。
早速、ストッキングの着脱の練習にかかる。
が、これが履き難い。
ゴムの締め付けが強いため、まず足首をストッキングが通らないのである。

1/9(wed) 血管外科受診。

足首と膝上の2箇所で静脈が血栓のため詰まっていた。
ただ、将来的に内部の血管が腐敗して足を切り落とすなどの懸念はない模様(ほっ)。
今後は、半年間のワーファリン服用(一日朝3錠内服)と1ヶ月毎の外来検査が必要。
その他、
・正座の禁止
・マラソン禁止(.....しませんてば)
・喫煙本数を減らす
・長時間の立ち仕事や歩行の禁止
・仰臥時は足を高く上げること
・飲酒は血行を促進する効果あり、但し適量(笑)
と、このような指示が出る。

1/10(thu) 退院。

深部静脈血栓症さえなければ、術後3週目で退院だったのである。
それが更に3週間も余計に病棟で暮らすこことなり、
他の患者との交流が親密になるに連れ、お別れの寂しさが胸に迫ってくる。

ここまでの総括 今後は、薬(ワーファリン)の効果で血液をサラサラの状態にして流れを良くし、他の静脈毛細血管がバ イパス血管として成長しより太くなることによって、静脈の還流を今以上に良くすることが治療の最終目標となる。
但し、完全治癒は望めない。

それから。
顕著な症状が出たのは外泊で自宅に帰っていた時であったが、この時に良くぞ肺塞栓を併発しなかったものだと、後になってから気付いた。不幸中の幸いというところか?




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