東北の旅
08−08−08 東北の道を掲載 001
09−01−07 みちのくの旅(その1) 一人で行った奥只見 002
09−01−10 みちのくの旅(その2) 大学の同期と米沢から那須まで 003
09−01−15 みちのくの旅(その3) 家族で山寺から鳴子方面に 004
09−01−19 みちのくの旅(その4) 家族旅行は雨にたたられました 005
09−01−23 みちのくの旅(その5) 新しい北東北の旅に 006
09−01−28 みちのくの旅(その6) 十和田から八甲田 007
09−02−01 みちのくの旅(その7) 縄文の世界から日本海側へ 008
09−02−07 みちのくの旅(その8) 新しい旅です 009
09−02−13 みちのくの旅(その9) 最上川をさかのぼり、再び日本海へ 010
09−02−18 みちのくの旅(その10) 佐竹藩に入りました 011
09−02−26 みちのくの旅(その11) 佐竹藩です 012
09−03−06 みちのくの旅(その12) 津軽の国へ 013
09−03−14 みちのくの旅(その13) 竜飛岬から青森へ 014
09−03−19 みちのくの旅(その14) 青森から下北へ 予期せぬ出来事 015
09−03−26 みちのくの旅(その15) 出来事の収束 016
  冷や汗と冷水の全国ドライブ
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 みちのくの旅

東北には、過去に何回も行っているが、家族や友人と観光目的で数日間行くことが多く、長距離ドライブはあまりありませんでした。今回は、本格的に計画を立てて桜を追いかけて廻るつもりでした。
 東北の歴史は、中国の文化が縄文後期に北から伝わり、続縄文といわれる時代になり、南からの弥生文化が北上し、最初は、茨城辺りでぶつかり、生産性の高い弥生が勝利し、次第に北上して、会津盆地、さらには青森方面まで稲作がされたようです。しかし、北東北では安定した稲作は望めず、北の文化が主流でした。古墳時代以後、大和が国を統一し、南の隼人朝鮮半島、北の蝦夷と三方とのかかわりの中で、朝鮮半島で敗れ、北と南の経営が中心となりました。南の隼人は、秦氏などの渡来人の勢力がこれを取り込んだとも言われています。

北は、第一期が勿来の関、白河の関、そして会津盆地、鼠が関のライン、第二期が秋田城、胆沢城のラインまで進み、坂上田村麻呂アテルイの乱を治めた後、平安中期に、仙台平野から北上川を遡り、藤原三代の栄華、鎌倉末には北東北から北海道南部まで進み、シャクシャインの反乱などあり、幕末には戊辰戦争で幕府に味方した東北諸藩の敗退と、最後まで南からの勢力に圧迫されてきました。
江戸時代には飢饉に悩まされ、豊かさとは縁遠く、戦後も出稼ぎというイメージで、北海道と違い、歴史があるだけに暗い感じがするのです。しかし、能因や西行、芭蕉が旅行し、その自然に感動した一端に触れ、歴史の一端を覗いて見ようと思います。

その前に、今まで行って記録が残っている幾つかの旅行について紹介することにします。
みちのくへの旅はいくつものルートがありますが、主だったルートは別図に示した5つになります。過去に何回か行った猪苗代湖周辺などは省略し、ルート上にあって、別の時に行ったものも、話の中では紹介を兼ねて一つにまとめた所もあります。


05/7 奥只見(その1


06/7 米沢から那須(その2)

05/9 山寺から鬼頭、河原毛(その3ー4)

04/9 遠野から青森、十二湖(その5−7)

08/5 月山から恐山方面(その8−14)
  ここで一周の予定だったがーー

08−6(恐山から八幡平(その15)

















 今回で殆ど完了と思っていた所、桜は早咲き、旅行は交通事故で、恐山で中断してしまい、三陸海岸方面を回ることができなくなった上、2度の大地震で、ルートも寸断されてしまいました。
三陸方面は、もう一度、計画を作って廻るつもりです。