みちのくの旅(その6)(北東北をめぐるーその2)縄文の世界へ

 紫波ICから碇ヶ関ICまで一気に北上し、青森県に入ります。この道筋には、大潟環状列石など縄文時代の遺跡も多く有ります。そして、青森の三内丸山遺跡、津軽半島の亀ヶ岡遺跡など青森は縄文遺跡の宝庫です。
これに負けまいとしてか??、そっちが縄文なら、俺達は新石器時代だ!!と北上地方に座散乱木など多くの偽遺跡を作りこれに踊らされたのは何だったのでしょうか?

(第2日 9/24)続き

 碇ヶ関ICから国道454号に入ると、一面のりんご畑で、途中、岩木山が良く見えます。そこを向けると杉林になり、しばらく行くと102号と一緒になります。

             

                          国道454号線からの岩木山

この道を西十和田いで湯ラインと称し、途中、いくつもの温泉があります。ここを川沿いに進んでいくと滝ノ沢峠で、峠を越えると十和田湖の西岸となります。ここを少し行った辺りで、湖岸に降り、途中で買ってきたサンドイッチなどを食って昼飯としました。湖の水は綺麗ですが来たから吹き渡る風が強く、波が荒い。湖岸を南下し、休屋まで行くと、中山半島の影に入って波もなくなります。

   

              十和田湖西岸                      休屋付近の十和田湖

この半島の付け根に十和田湖のシンボルだという高村光太郎乙女の像、さらに進むと坂上田村麻呂が建てたという十和田神社があります。その先に進むと占場と言う所が有り、ここで長いごとをして供物を水に投げ込むと適う時には早く沈むのだとか。

光太郎の乙女の像は、乙女というにはいささか難があるように感じましたがーー

 

                                        



  
乙女の像










     

          i十和田神社                             さらに奥に占場がある

ここから、子の口を過ぎて102号奥入瀬渓谷を進みます。一名、瀑布街道とも言われ、奥入瀬に流れこむ多くの滝がありました。

9月も終わりで、紅葉には少し早いようですが大勢の観光客が渓谷の道を歩いており、車も増えてきました。

                

                          奥入瀬の渓流(まだ紅葉していません)

102号から103号に入り、九十九折の道を八甲田ロープウエイ目指して進みます。ロープウエイの最終が15:40で、前の車をそこのけそこのけと追い越して飛ばし、酸ヶ湯を過ぎて、ロープウエイ入り口に着いたのが15:30分過ぎです。

最終のロープウエイで9合目まで登りますが、帰りの最終は16:40分。ここに30分と60分の散策路がありましたが、60分コースを35分で廻りました。時期的にわたすげの穂が在る位で特に印象に残るものはありません。

散策路から戻り展望台から見ると青森市街、陸奥湾、岩木山などが良く見えます。

   

           八甲田山の湿原                       ロープウエイから見た青森方面

 最終で下り、酸ヶ湯に戻ります。ここは、昭和14年に建てられたという木造三階の建物で国民温泉第一号との事。建物は道後坊ちゃんの湯的な雰囲気でもあるが、こちらは古めかしく、なんとなく、「千と千尋の神隠し」のヒントになったような感じがします。

                              




     酸ヶ湯温泉









 早速、大浴場に行ってみましたが、今では中は殆ど仕切られて、混浴という感じではありません。
考えて見ると浴室は薄暗く、湯も白濁していて、別に混浴であっても入湯している分には何の問題もないはずです。但し、脱衣場はそれなりに別でないと困ることも多いでしょう。


                   

                      奥の打たせ湯にーー(右手が女湯)

このように仕切ってしまうと、打たせ湯などは片側にしかないため湯治場としての役目が失われるだろうなどと思いながら、打たせ湯で肩など打たせていると、隣に相撲取りを小型にしたようなやけに太った男が入ってきました。よく見るとあるべきものがなくおばさんだと気がついた次第です。

一応、9時から10時は女性専用となっていますが、温泉好きの娘などあまり気にしないで入っていたようです。泉質は那須ほどは匂わないが硫化水素の匂いのある白濁した湯で、小生の好みです。結局、朝も含め4回入りました。

酸ヶ湯温泉

(この日372km)

 

(第3日 9/25)

 昨夜、激しく降っていた雨も、朝方には小降りとなったので、饅頭をふかす蒸気が出る所があるというので、傘を借りて行って見ました。小さな温泉神社などもあり、歩いているうちに温泉の湯元に辿り着きました。湧出量が多いと見え、一部は外に流しています。

雨もやみ、8時に出発。三内丸山遺跡についたのは8時半です。まだ、時遊館という展示設備は開いておらず、うろうろしていると親切な男の人が裏の作業場の方から遺跡に入れると教えてくれた。こちらに廻って見ると目の前に広がる岡の上にシンボルの六本柱のやぐらや高床式の建物などが点在しています。しかし、所々にある発掘した木柱や墓などの跡を保護するアルミ製のドームは観光的には興ざめなものです。

北側を見ると陸奥湾が広がっており、遺跡から海岸まで4km位ですから、気温の高い縄文中期には、海がすぐ近くまで広がり、横の小川から漁労にすぐ行けたのでしょう。

 水戸市(旧常澄村)の大串貝塚も那珂川、涸沼川が作る汽水湖が広がって、そこに住んでいた縄文人の遺跡(貝塚)は、常陸風土記のダイダラボッチという架空の巨人が貝を食べた後だという日本最古の貝塚に関する記録がありますが、似たような環境です。しかし、海が後退して行った後に、弥生人が稲作とともに渡来し、古墳時代に入って行った気候風土と、青森という当時の稲作には向かない地方の違いが、気候変動とともに集落を衰微させたが、反面、遺跡はそのまま残ったといえるでしょう。


 







三内丸山遺跡
  (後ろは高床式建物)











                              

                                        三内丸山遺跡(住居跡)

                       いずれも想像上の復元です。

 遺跡の中をこんなことを思いながらしばし散策し、戻って、縄文時遊館をちょっと見て、青森から松前街道(280号)を陸奥湾に沿って津軽半島を北上しました。今回は、時間がなく、竜飛岬まで行けず、途中の外が浜町でやまなみライン(県道12号)で半島を横断し、十三湖に向かいました。外が浜町からも北海道が望めます。

                         

                                北海道(渡島というのも尤もです)

 十三湖の傍の今泉PAで一休み。目の前の湖は遠浅で、ゴムのズボンの漁師が蜆取りをしていましたが、ずいぶんと小さな蜆でした。

   

           十三湖(現在は中泊町)                  十三湖の風景

 ここから十三湖の北岸を小泊道で少し北上し、五所川原市の十三湖大橋を渡ると中世に栄えた十三湊の跡があるが時間が無いので通過し、12号線(十三道)を南下すると亀ヶ岡石器時代遺跡公園がある。ここから脇道にそれ、縄文館(亀ヶ岡考古資料館)に行きました。

ここは、木造町が建てたもので当時の色々な資料がありますが、途中の道は狭く、観光地には向いていないでしょう。

途中、交番の前を通ったら、パトカーがついてきたが、尾張小牧NOが珍しかったのでしょう。

ここの出土品で有名な遮光土器は、現物は、上野の国立博物館に収蔵されています。

亀ヶ岡遺跡は、三内丸山遺跡より後の縄文後期から晩期の遺跡で、江戸時代からここの遺跡から出る土器は焼きが堅く、茶人などの珍重されたと言います。そのためかなり乱掘されてしまい、海外にも流出してしまいました。三内丸山のものも江戸時代に出土したようですが大型で焼きが甘く、茶器などにはならなかったようです。

ここの焼き物は、漆塗りなどもあり、自分達が使う以外に交易に使ったとも思われます。

ここからさらに南下すると、五能線木造駅があります。ここは、遮光土器をかたどった駅舎が特長ですが、駅前はにぎやかでは有りません。丁度、列車が入り、高校生が降りてきました。どこに行ってもローカル線の乗客は、高校生か老人です。

   

             亀ヶ岡遺跡公園                      f  五能線木造駅

 昼も近付いたので、101から267に入り、道の駅「もりた」に立ち寄りました。結構、賑っていて、昼食もサラダバーなどがあって気が利いています。地酒を売る店などもあり、酒を買いました。

ここから、鯵ヶ沢に出るつもりでしたが、天気も良くなったので、まず、岩木山に行くことにしました。県道を39から30号(岩木山環状道路)に入るとで岩木山を望む岡と平野で、りんご畑と田圃が広がっています。さらに3に入るとすぐに岩木山神社です。

                      

                              環状道路からの岩木山

岩木山神社は、陸奥国一宮で、諸説があるようですが780年に山頂に社殿が建てられたといわれ、800年坂上田村麻呂が父刈田麿の礼を祭るために社殿を再建、十腰内麓宮(今の巌鬼山神社)を建立し、山頂を奥宮としたとのこと。

この辺は、かなり怪しい話で、800年といえばアテルイの乱のさなかでもあり、ここまでやってくるのは難しかったと思われます。

江戸時代以降、各地で田村麻呂伝説的な話しが作られて神格化されていったのでしょう。

その後、11世紀末、神託により岩木山の南麓の現在の地に遷り、百沢寺となった。山頂には、阿弥陀、薬師、観音の堂があり、百沢寺三所大権現といわれていました。これが明治の廃仏毀釈で神社に戻り、岩木山神社となったのです。今の社殿は、1589年の岩木山噴火の火災で全焼したものを弘前藩が1640年まで約40年かかって再建したものです。この社殿一帯は、奥の日光とも言われてきて、楼門、本殿など需要文化財となっています。

岩木山は、津軽平野に独立した何処からも見える山で、お岩木さん、お山などと呼ばれ、周辺の信仰の中心となってきました。

これは、常陸の筑波山と同じような感じです。

 
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        参道   天気が良いと岩木山に一直線なのが分かる(2) 参道は長い(3)、(4)

 参道が尽きると楼門の所で、面白い狛犬がお出迎え、楼門から中門、そして拝殿、奥門、本殿と続きますが奥門から本殿は拝観出来ません。

   

                珍しい狛犬                            楼門
   

                中門                                   拝殿

                     

                                   本殿

 ここで食べたりんごのシャーベットはうまかったなどと思いつつ、県道3号を進むと津軽岩木山スカイラインです。ここから69のカーブのある道を登ると9合目で、リフトの終点から30分もあれば山頂に行けるというが、スカイラインの入り口が5時で閉まると盛んに放送している上、下では晴れていた天気もすっかり雲がかかってしまい、少し登って見たが波も見えなくなりあきらめて下り、3号線を進んで鯵ヶ沢に向かいました。

                   

                               何も見えない岩木山

今日は、十二湖に泊まる予定ですが、まだ、道は長く、とりあえず今回はここまでとします。