みちのくの旅(その14)(再び北東北へーーその7)

                災難の恐山(5月3日、4日)

(5月3日)

 今日は野辺地へ行き、女房が帰って下北への一人旅となる。朝、起きて橋を渡り大島に散歩に行く。

島の先端には灯台があるが、そこまでは距離的にも時間的にも行くのは無理で、途中まで行って戻ることにする。

島は、かたくりの群生地ということだが、少し、花の時期が過ぎていたようだ。かたくり以外にも、色々な花が咲いていて、なんとなく高山に近い感じがした。やはり北国の気候のためだろう。

  

           夏泊から見た大島                  大島側から民宿を見る

 

                     大島の花(かたくりなど)

7時に戻って、民宿のおばさんと飯を食って、出発。おばさんの息子の水死の話などを聞いていささか気が重い。

途中、昨夜は夕暮れでよく見えなかった夜越山公園の桜を見る。ようやく、満開の染井吉野に逢えた。

野辺地駅には、8:30頃に着き、女房と別れる。

   

          夜越山公園の桜                       野辺地駅

ここで起こったのが、次の災難で、後から起こる大きな災難の序章である。それは、駅で写真を撮って車に戻った時、カメラを首から提げていたのが、何処かにぶつけてしまったのである。

 そんなことになっているとも知らず、下北への道をひたすら進む。途中は、荒れ果てた荒野を行く感じで、その先に横浜町があり、ここは菜の花を観光の目玉としていて、数日前に開花宣言をやった。途中、道沿いに延々と開花のPRの看板がある。しかし、一向に菜の花畑は見えない。道の駅「よこはま」に行くと結構な人出である。そこで聞くと、観光用の菜の花畑は、少し279号から入った所にあるらしい。菜の花はガキの頃から見慣れているので、そのまま先に進む。

   

          道の駅よこはま                   5月中旬の様子(PRより)

そして、10時少し前にむつ市に到着した。次の災難は交通規制である。今日は5月3日、連休の最初の日であり、駅伝大会をやっている。道が何本もある訳ではないので、メイン道路は交通規制で一向に進まない。

仕方がないのでNAVIを頼りに、狭い脇道を進みようやく抜けた所が自衛隊の駐屯地で桜が満開である。これを写真に取ろうとして液晶がおかしいのに気がついた。

                    

                         自衛隊駐屯地の桜                        

シャッターなどの動作は異常ないので、写真は取れているだろうと思ったが、駄目でも携帯でも写真が取れるので、少し戻ってコンビニで携帯の充電器を買って、時間もたってしまったので、昼飯も仕入れて再出発。

下北半島を338号線で時計方向に進み、脇野沢を過ぎて県道175号に入り、牛の首岬と言う所に牛の首農村公園と言うこじんまりした公園があり、ここから鯛島がよく見える。ここで少し休んで昼飯をピクニック気分で食った。

鯛島には、昔、坂上田村麻呂が来て,土地の娘とねんごろになったが、懐妊した娘を置いて帰ってしまい、娘は身を投げて死んだ。それを鯛島に葬ったという悲恋の話があると言う。何処かで聞いたような話でもある。

                 

                         鯛島(角のようなのは灯台)

 県道を更に進むと、北海岬に着く。ここはニホンザルの北限の生息地。猿はいなかった。

ここから脇野沢まで戻り、再び338号を少し行くと道の駅「わきのさわ」がある。当初はここで飯を食う予定が、少し遅れた。

 

 

         野猿のすむ海辺公園(北海崎)            道の駅「わきのさわ」

ここから、海峡ラインと言っても山の中の九十九折の道を進み、坂を下っていくと仏が浦に出るが、その手前に牛滝と言う漁港があり、ここから観光船が出ているというのでそれに乗ることにした。時間は丁度、2時。

これが正解で、仏が浦の駐車場まで行くと、崖道を降りて下まで来ても、海岸の奇景を見るためには船に乗る必要があり、帰りは坂道を登らねばならない。

仏の浦は、海側から見て初めてその奇景をよく観賞できる。それぞれの岩には、それぞれの名前がつけられ由来がある。

 

        牛滝港(すでに奇岩)             夢の海中号(船底から海底が見える)

  

        最初の奇岩                         しばらく続く奇岩


               

                                 奇岩の幾つか

   

              上陸して神社に詣でる                陸から見た奇岩


   神のわざ 鬼の手づくり

                                    仏宇陀 人の世ならぬ

                                          処なりけり


        大町桂月

                                       
           大町桂月の歌碑

 戻って、3時過ぎに牛滝を出発。ここから大間までの道も、かなりの上り下りと屈折で、一部、補修などもしていて長距離走ってきたのでいささか疲れた。

ようやく、大間に着いたのが4時過ぎである。ここは本州最北端、フェリー港から北海道への航路がある。いよいよ原発の建設も始まる。ここにも、休日で大勢の人が来ている。ここにあるのもモニュメントと土産物屋と食物屋。

 

         「ここ本州最北端の地」と書いてある         弁天島の灯台を望む

 ここで、更に災難が降りかかる。デジカメで写真を撮ろうとすると、レンズが開くがすぐに閉じてしまう。したがってデジカメでは写真が完全に取れなくなってしまった。こうなると、今まで撮った写真も怪しくなってきた。

大間には、大きな電気屋は無い様で、そのまま、宿の下風呂温泉まで行くことにした。

下風呂とはアイヌ語でくさい岩と言う意味だとのことで、昨日から今日にかけて廻った海岸地帯の地名はアイヌ語が起源と言うのが多い多いようであるが、江戸時代にかなり日本化されているから、そう感じないところが多い。

 さて、宿には、17時過ぎに着いた。ここで、何処かに電気量販店などないかと聞くと、むつ市K‘sデンキがあると言う。

ここから、20kmちょっとと言うのでまだ明るいうちに帰れそうなので、荷物を置いて出かけた。

 

ここまで、今日は300km近くに乗ってきたのだが、女房もいないしーーーこれからが最後の最大の災難である。

 むつ市に着くと、町の中心を少し抜けた十字路の向こうの右側に店が見えた。交差点を少し行って手前ローソン、その先がK’sデンキである。休日で町に出入りする直進車は両サイドとも殆どいないが、観光客など対向線右折車が数十台も連なって信号待ち。さて、どうするか、後続車もなく、右によってウインカーを出してゆっくり走っているとタクシーが道を明けてくれた。

サンキューと車の間からゆっくりと頭を出したのだが、対向直進車線が右折信号に変わるためか、おばさんが突っ込んできて、車の角に衝突。直進者の左側は、ローソンとK‘sデンキとも縁石もないので気がつけば簡単によけられたはずだが、ブレーキを掛けた気配も無い。

ぶつかって、相手は少しぼーーとしている様子なので、119番で救急車を呼び、警察も呼んで対応した。しかし、法律的には、中央線のある道の右折であるからこちらの非が大半である。

 一応、警察と状況を確認し、救急車を呼んだのでたいしたこともなさそうですが、明日、10時から調書を作りましょうということになった。保険屋にも連絡。

ここからが大変である。こちらの車の修理をせねばならず、しかも、スバルの店など7日まで休みである。とりあえずJAFを呼んだ。来たのはJAFと契約している板金屋のおやじ。とりあえず、車を積んで一緒に運ぶことにした。さて、宿のどうして帰ろうかと言うことで、お上に電話したら「どこに行くんですか」と聞くので「Y板金」と言うと「ちょっと代わってください」と言う。なにやら親しげに話しをしていて、「迎えに来てくれるそうだよ」とおやじが言う。

聞けば、お上とおやじの奥さんは学校の同級生。都合が良いことにY板金は、下風呂温泉とむつ市の途中にある。おやじには、レンタカー屋を知っていれば車を探してくれと頼み、お上の弟が迎えに来てくれて、宿に8時半過ぎに着く。

飯も温めて待っていてくれた。皆親切である。

一杯飲んで温泉に入り、顛末を纏めて、10時過ぎに寝てしまった。やはり、下道、それも山岳コースなどを300km以上走ると疲れて注意力が散漫になるのだろうと反省した。

(この日 320km)

(5月4日) 

 朝、温泉に入って飯を食い、おやじに電話すると、トヨタなどは連休で車は出払っていて、自分の知っている所があるのでそこから借りられることになったと言う。俺が迎えに行くよと言っている。

日立の修理屋のおやじに電話したら、もって帰るよりはそちらで直した方がいいだろうと言う。

どうやって東京まで出るか、お上に色々と聞いたら、帰るのなら夜行バスがいいですよと言う。JRバスに聞くと、5/5の夜は臨時便まで帰省者で満杯だが幸い5/4は空席がある。5時までやっているので切符を買ってくださいと言うので、それまでに青森までいけないから何とかしてくれと言うと、初めはなにやらごちゃごちゃ言っていたが、結局、車内販売で買うということで、座席表に名前を入れておきますということになった。どうせなら、もう少しゆっくりしたいところだが、連休で新幹線他全く切符がない。

 9時前におやじが迎えに来た。型式は古いがスカイラインの二人乗りのスポーツタイプ。これだと皆避けてくれるなどと言いながら飛ばして、店に着く。着ていたのはヴィッツ。NAVIがないので、連休でも借りる人がいなかったのか?

おやじに、後ろのバンパーは去年、九州に行ったときに草に隠れていたグリ石にバックで下がった時に擦っているんだがーーと言うと、サービスで直しておくよと調子が良い。

修理を頼むことにして、町に出かける。NAVIなしで知らない町を走るがいまさらながら大変だと感じた。

 警察に着き、昨日、実地検証をやった警察官と会い、向こうの作った調書の原稿と、自分がまとめた内容とを照合。殆ど一致したので、後は雑談。相手の女性の住所氏名、電話番号など聞く。相手は、診察を受けて帰ってので、全治一週間位の診断書で終るでしょうという。その場合、こちらの過失大で、4−5点減点になるでしょうとの話。

 さて、青森からのバスは夜行で、時間は十分有るので、まずは、昨日行こうとしていたK‘sデンキに向かう。

まず、デジカメのSDカードをチェックすると、撮った写真は写っていた。このカメラは昨年、九州に言った時、動作がおかしくなって九州のヤマダ電機で買ったもの。一年間の保証がついているが、1年を数週間オーバーしている。

後継機種は800万画素となっており、買うことにする。K‘sデンキはその場で現金値引きとテレビで広告しているから、店長と交渉し、値引きさせて購入。保険もきかず余計な出費になってしまった。

ここから、恐山に向かう。釜臥山展望台が有るが、天気は曇りでガスも少しかかっているので止めて直接、宇曾利山湖に向かう。恐山5月1日が開山だが、雪など全くなし。

1時前に着き、門前の蕎麦屋で昼飯を食う。時間も十分あるので、境内の薬師の湯(温泉)温泉に入る。外国人なども入っていた。他にも、古滝の湯、冷抜の湯など幾つかの温泉小屋が有るが、女性用となっていた。境内を一周したが、なんとなく開けていて、修験道の道場といった感じが少なく、観光地と言う雰囲気が強い。駐車場が近すぎて有り難味が少ない

 

                    宇曾利山湖(思ったほど殺伐とした風景ではない)

 

    

        総門を入って山門へ                      本殿

      

  

      本尊安置地蔵院(右が薬師の湯)              地蔵院へ

  

       奥の院の不動明王                    奥の院側から見た寺院

   

                       八角堂と宇曾利山湖

 さて、これから薬研温泉まで足を伸ばすか迷ったが、荷物の始末もあり、戻ることにした。

途中のコンビニで、段ボール箱をもらい、ガムテープを買って板金屋まで戻る。途中で給油しようとおやじに聞いたスタンドは休みである。息子に頼んで給油してきてもらう。いくら?と聞くとサービスで良いと言う。

土産やら旅行用品やらを積めてコンビニにもって行き、宅急便を手配。まだ、駅まで送ってもらうにはまだ時間もある。

おやじと色々と話しをする。小生より一回り若い。ラジコンのヘリなど何台か置いてあるので聞くと、以前はこれに凝っていたが、今は、温泉旅行に凝っているんだと言う。たまにラジコンをやると、ジャイロなどすっかり電子化されて分からなくなってきたなどと、小生がパソコンで感じているようなことを言う。

 色々な話しをして、あまり長居も仕事の邪魔と、駅まで送ってもらうことにした。今回は、温泉のお上と同級生の奥さんである。

道々、「一緒に旅行するの?」と聞くと「行かない」と言う。おやじは勝手にぶんぶん飛ばして、買い物も出来ず面白くないなどと言う。誰かの家と似て居る所がある。

 駅につき、しばらく待って青森へ。

駅前で酒を飲み魚など食ってバスに乗ったが、臨時バスは普通の観光バス。しかし、満員でなく、横一列が使えたので楽であった。

家に帰って、女房や娘から文句を食らう。

 

   Fig29 到着した快速下北(青森まで直通)          Fig30 乗った臨時便(佐野SAにて)

 

「再再度、北東北へ」

 今回の旅行は、下北で終わってしまい、三陸海岸方面に行けなかった。こちらは、むしろ第三セクターの鉄道とレンタカーの方が楽かもしれない。

そんな負け惜しみ?を書いているうちに、大地震が起こり、おそらく、今後とも行くことができなくなった場所が出来てしまった。

今までの旅行では、世界遺産になって人が沢山行く前とか、結構、早め早めに回れたのだが、残念です。

今回の顛末は、車を取りに行った帰りの道がもう一回あります。