みちのくの旅(その11)(再び北東北へーーその4)
桜を追って大潟村から角館、乳頭温泉へ
(2008年4月30日)
旅館の食事が、7:00からと言うので一風呂浴びて7:30に出発することができた。まずは、真山神社に向かう。
ここは、男鹿半島修験道の中心地。武内宿禰が男鹿半島視察の時、真山に上り武運長久を祈って開いたというが、この辺の社伝の真偽は不明だろう。平安時代、慈覚大師が湧出山を、北を真山、南を本山と分けたと言われており、天台宗徒により、比叡山延暦寺の守護神の赤神明神と習合し、真山別当光飯寺が開かれ、その後、真言宗に転じて佐竹などの庇護を受け修験道の霊場として栄えたと言う。しかし、明治の廃仏希釈により、光飯寺は、無住となり廃寺となってしまい、今はその仁王門が真山神社の神門として有る位でその後は殆ど無い。 菅江真澄が訪れた頃は繁栄を極めていたがその頃の寺宝など散逸してしまった。
今の社殿は、戦後、地元の天然杉で建築されたもの。
男鹿半島の山岳宗教跡
真山神社境内
光飯寺のものであった仁王門
光飯寺跡の樞の巨木
新山神社本殿 佐竹が寄進した神輿
ここの柴灯(せつど)祭は、正月三日、なまはげがやってきて「泣ぐ子いねがーー」と各家を廻るもので重要無形民俗文化財として有名である。このなまはげ行事を観光客に見せる昔の曲がり屋を使った男鹿真山伝承館がすぐ横にあるが時間が早く省略。
少し離れたなまはげ館に行くと、丁度9時で開館。ここには、男鹿地方の様々ななまはげの面や衣装がおかれている。
その風貌は、なんとなく蝦夷らしく見えるのは先入観があるためか。
男鹿真山伝承館 いささか不似合いななまはげ館
なまはげのお出迎え
様々な鬼の面
ここから、戻ってなまはげラインを進み、寒風山に向かう。天気は少し曇りで眺望はあまり期待できず、頂上の回転式展望台に金を払って入る気もしなかった。
寒風山から(あまり見えず) 駐車場から頂上への道
ここを下り、大潟村へ向かう。以前に来た時は、北半分を廻った。台風の爪あとが生々しく、ポプラの防風林が根こそぎ倒れていたのが印象に残った。今回は、南の半分。こちらは、道路の防風林の一部をかねて桜が植えられ、菜の花の道が作られている。残念ながら、染井吉野は殆ど散っていたが、他の桜はまだ咲いていた。
とにかく、長い道の両側が全て菜の花と桜であり、後数年もすれば桜ももっと大きくなり、桜の名所になっていくだろう。
染井吉野は葉桜 桜がもう少し大きければーー
干拓地の中を快走し、五郎目八郎潟ICから秋田道に乗り、協和ICで降りて、341号を角館に向かう。
途中、道の駅「協和」で稲庭うどんなど食って昼食、12:40頃、角館に着く。角館は、連休でもあり、本来、この時期は毎年桜祭りの真っ只中で武家屋敷の通りは歩行者天国。
しかし、今年は桜はすっかり散ってしまっている。とは言え、観光客は多く、観光バスも100台近く来ている。
有名な武家屋敷の通り、桧木内川の堤防もすっかり葉桜である。こうなると、武家屋敷などの中を見学、通りを歩いて何かを食って土産を買うという大内宿や妻籠宿などと同じパターンになってしまう。しかも、歴史的にも特に興味が湧くいわく因縁が無い。
武家屋敷のしだれ柳も葉桜で、柳の下を歩いている感じ。端から端まで歩いても、予定時間よりだいぶ早く終ってしまった。
武家屋敷通りの桜(左:誰かが行った時、右:我々が訪れた時)
桧木内川堤の桜(左:誰かが行った時 右:我々が訪れた時)
2時間ほど武家屋敷の見学やら街中を歩いて、田沢湖に向かう。十和田湖には、どっしりとした乙女の像が湖畔にあったが、こちらは、ここに伝わる永遠の生命を求めた辰子姫の伝説による湖中に金ぴかの辰子像である。十和田湖と言い、東北の人は裸婦が好き??
田沢湖は、発電所建設などで、強酸性の玉川温泉の水を流し込んだため、魚などが死に絶えてしまい、今はそれを中和しているが完全には回復していないと言う。しかし、ウグイなどは沢山泳いでいた。
ここに来てようやく桜らしい桜に出会えた。
湖畔の神社の桜
辰子像
湖畔を半周して乳頭温泉郷に向かう。途中、県民の森が有り、ここの桜は満開であった。
そして、4時少し過ぎに、乳頭温泉の大釜温泉に到着。
ここは、以前に秋田大学の学生が心中し、そのときの火災で焼けて、再建時に閉鎖された学校の校舎をもらって造ったと言う。乳頭と言うごとく、白濁した湯だが、硫黄臭などは無い。飯に刺身など出さない所がいい。
大釜温泉(例年なら雪がまだ多い所)
(この日 188km)