みちのくの旅(奥只見へ)

 03年に名古屋から生活の拠点を日立に戻し、仕事の拠点をこちらにして3年が経った。

そして、05年の7月、女房と娘がスイス旅行に行ったのを幸い、一人で奥只見に出かけることにした。

 

第一日(7/14)

4時半頃、常磐道から磐越道に乗り、会津若松ICで降りる。会津には何回も来たことがあり、街中や、会津城、飯盛山などは省略し、岩代国一宮の伊佐須美神社にと向かう。

 会津盆地は、地形的にも、気候的にも諏訪と良く似ており、稲作もそれなりに出来て、縄文から弥生への転換がこの辺まではスムーズに行ったのではないかと思われる。

会津盆地には、大きな古墳なども存在する。

会津という地名も、崇神天皇が諸国征伐に使わした四道将軍のうち、北陸道を鎮撫したオオヒコ命と東海道を鎮撫したその息子のタケヌカワワケ命が福島と新潟の境の御神楽嶽で出会ったのが、由来だと言う。

 この神社は、この二人の神とイザナギ、イザナミを主祭神としている。

この神社には、他の東北に神社のように、坂上田村麻呂などが祭られては居らず、その起源が古いことを示している。

この辺までが、弥生時代、古墳時代の農耕が安定して出来た地域であったのであろう。

おりしも、お田植え祭の後で、境内も綺麗であった。

残念ながら 伊佐済美神社の本殿他が08年10月に火災に会い、全焼してしまいました。

   

        伊佐須美神社                                       伊佐須美神社本宮

ここから、西の方に県道を進むと柳津に出る。ここには、福満虚空蔵尊がある。

   

         福満虚空蔵尊山門                                 福満虚空損尊本殿

町は、この虚空蔵尊の古い門前町で、桐の加工など木工の伝統もある。中々風情がある町で売っている饅頭も、日持ちがせず、その場で食うのに適している。

虚空蔵尊の舞台から見た只見川の風景の素晴しい。

 

   




   
柳津の町  









                

                                  
 虚空蔵尊の舞台から見た只見川

少し下ると、鎌倉時代の奥の禅院弁天堂があり、重要文化財となっている。

   

           奥の禅院参道                                         弁天堂(重文)

 ここから只見川を遡る。奥会津という山深い所で、川筋の国道と只見線が地域を連絡している。只見川は、発電用のダムが多い。その途中、本名ダムというのがあり、そこの少し上流に湯倉温泉というのがある。

ここは、自然に流れ出す源泉を小さな湯槽に溜めるが、きわめて熱く、山からの水を溜めて冷やす。

誰がいるわけでなく、小さな箱があり、お志(100円以上)を入れてくださいとある。

着いた時は、オートバイの親父が一人、ちょうど出る所。毛が上も下も白い所を見ると、小生より年上か?

 

         湯倉温泉の小さな浴槽                          温泉の排水口から見た只見川

                        
 

                          八十八里越の叶津番所

只見の手前の越後と会津を結ぶ街道の難所を八十里越と言い、ここに叶津番所があり、それが公開されている。ここを過ぎてJR只見駅に行って見る。昔は木材の積み出しなどで栄えたのであろうが、今は、側線も皆撤去され、列車は一日4本である。駅前には旅館もあるが経営できるのであろうか。

   

     fig11  只見駅時刻表                            何もなくなった駅前広場(小生のアベニール)

町営温泉があるというので行って見ると、12時からという。まだ、11時10分である。少し脇道になるが、深沢温泉に行って見る。湯ら里という立派な設備があり、同じ敷地内に村の湯という少し小さい設備もある。

聞けば、こちらは湯を濾過し、向こうは源泉という。入湯料も同じ。それなら向こうに入ると、行って見ると40台の男が一人入っていて、近隣のことを色々と教えてくれた。

大滝の水と言う名水があるとか、合鴨農法をやっているとか。

ここの湯は茶褐色ににごり、塩分も強い。蕗のとう入りの蕎麦やき餅なるものを買って昼食をとり、男に聞いた川沿いの道を帰ると、合鴨がたくさん飼われていた。

 さらに進んで田子倉湖の横を通る。昨年の雨で道路が寸断され、一部、通行止めで県道を迂回し、大湯温泉に向かう。

着いたら、まだ2時すぎで、これなら奥只見湖まで行ける。道はシルバーラインと言うが、20km近い道の殆どがトンネル。換気扇がないので霧がかかって前方が良く見えない。

ここを抜けると、ダム。大きな駐車場もあり、観光設備もあるが人影はまばらである。

  

       奥只見湖ダムサイト                    電力館から見た奥只見湖

 駐車場からダムサイトまでは、100円なりのモノレールで上がれ、さらに上に電発の電力館があったので入ってみる。

 ダムの建設の他、ダムに沈んだマタギの部落、江戸時代の銀山の跡など色々と分かり、シルバーラインの由来も納得。

帰りも暗いトンネルをひたすら走り、宿に着くとまだ4時前。大湯温泉は昔はかなりの温泉場と見え、ストリップ劇場の残骸などもある。

ネットで調べた小さな温泉宿は、夫婦でやっている家庭的な宿というが、季節が少し早いので泊り客は小生のみ。親父は「おーい。お見えだよ」と言って新聞を見ており、母ちゃんが全てを取り仕切っているらしい。

 風呂に入って、ビールを飲んで、一眠りし飯を食う。今日はずいぶん、温泉に入った。

 

第2日(7/15)

 5時半頃、起きだし朝風呂に入り、帳場に行くとお上がいて、山越えの352号線は通れると言う。それならそちらで行こうと7時半前に早めに出発。

ラジウム泉で有名な栃尾又温泉を過ぎ、352号の分岐点に来ると、ここからは2輪車は進入禁止。こちら側からの進入は午前中のみとなっている。

 道は、3ナンバーの国道とは思えないほど狭い上、カーブが多く、しかも至る所、がけ崩れで「路肩危険」の看板がある。これがない所は「落石注意」の看板で、実際にこぶし大の石が落ちている。さらに、カーブを曲がると鹿がいたりしてなんともスリリングな道であった。

枝折峠、銀山平を過ぎると「道路凹凸」の看板が何箇所もある。この凹凸は、道の下に暗渠を作らず、山からの水を道路のうえを流すために凹みを造ってあるのである。

実際に、深い所では、15cm近くもあったであろう。これでは2輪車は通行禁止である。

   

         このような所が何箇所もある               道端には残雪が

ようやくここを抜け、御池の尾瀬への入り口近くまで下るとさすがに車が増えてきた。

桧枝岐温泉に着いたのは、10時近くなったが、まだ早すぎるので、目的地とした木賊温泉に行こうと、広域農道に向かう。しかし、豪雨によるがけ崩れで通行禁止。

ロードマップルには、2車線の快適な道と書いてあったのに!!

 少し進むと、小豆温泉という立派な温泉があったが、ここは日帰り入浴はやっていないという。会津高原を左に見て、中山トンネルを抜けると滝の原温泉という看板があり、日帰りOK,露天風呂ありというので寄って見る。

親父に、飯は出来るか聞いて見ると、泊まり客(殆ど渓流釣り)には簡単なものは出すが、昼はやっていないという。

いささか疲れたので、ここで温泉に入る。誰も居らず、川が見えて田舎の露天風呂らしい。

 しばらく進んで行くと、道の駅たじまというのがあり、土産に会津の酒を買って、飯を食おうとすると食堂がない。軽食しかないというので、揚げもちなるものを食って、出発。

飯を食ったら、鬼怒川に出るのが億劫になり、結局、塩原に向かう。

塩原に来たのだから、また温泉と考え、町営の日帰り温泉に入る。ここは、前にも来たがまあまあの設備である。

 ゆっくり休んで、馬頭経由で帰る。家に着いたら4時半であった。

今日も良く温泉に入ったものよ。

 

三大虚空蔵尊

 柳津のパンフレットに拠れば、三大虚空蔵尊とは、次の三箇所を言うと書いてある。

   1.  福満虚空蔵尊――福島県柳津町

   2.大満虚空蔵尊――茨城県東海村

   3.能満虚空蔵尊――千葉県天津小湊町(現在の鴨川市)

 東海の虚空蔵尊は、子供の頃、十三参りをした所で所在ははっきりしている。しかし、安房小湊町の虚空蔵尊はいくら調べて見ても、出てこない。

 小湊といえば、日蓮上人の誕生寺で有名であるが、三大虚空蔵尊という以上は出てきても良いはず。しかし調べてもない。

 ところが、ネット上のブログなどでは、まことしやかに、その名前が出てくる。「安房小湊町のーーー」と言う記事が沢山ある。

 ネットの記事を信用してはいけません。そもそも、今は、安房小湊町という町は存在しないのです。