みちのくの旅(その15) (北東北の旅の終わり)

                      (2008年5月31日ー6月2日)

 車は下北、身体は日立

5月は、OB会。ゴルフ会、人間ドックなど予定が多い。保険屋の査定もあり、修理完了は5月末とのこと。6月の初めは、小生主催の懇親会もあり、そこまでには車が欲しい。

また、その間も車がないと不便だが、人に頼んだりしてやりくりし、ついでに前から欲しかった車に積める折りたたみ式の20インチの自転車を買い、近場の用事を済ます。ガソリンも値上がりし、10km位ならこれが良いと負け惜しみ。

夜行バスで朝着き、その日の午後に引き取り、途中で泊まって帰ると車中泊を入れると足かけ3日になる。

色々と検討した結果、5月30日の22:30の夜行バスで青森へ行き、翌日は途中で泊まり帰る事にした。女房が色々というので娘を連れて行くことにする。どうせ泊まるなら、今回予定変更で行かなかった八幡平アスピーテラインを走ることとし、後生掛温泉にとまることにする。

この前の旅行が中断したので、この位奢っても安上がりと負け惜しみ。

 

(5/31−6/1)

 大甕「水戸の梅」など買って19時の特急で上野へ。時間は十分あるが秋葉原などは9時で店が閉まる。本屋などによって時間をつぶし、娘と合流。

東京発22:30に乗る。本格的夜行高速バスに乗るのは、小生は始めてである。3列の椅子のリクライニングなどまあまあ。しかし、走行音が意外にうるさい。乗りなれている娘に聞いたが、やはり少しうるさいという。JRバスの車体が古いのか??

先日の帰りは臨時バスでトイレが無く、途中のSAで何回かトイレ休憩があったが、今回は、泊まって運転手の交代の休みなど有るが客は下ろしてもらえない。朝、7時頃高速を降りるまで、遮光カーテンも開けられない。

 青森に定刻8時に着いたが、途中から雨模様。

青森でホタテ丼など食って9:25の直通の快速で下北へ。これは、気動車一両で、北海道釧網線の特急と似ている。

 

         雨の青森駅(柱の向こうが連絡線桟橋)       快速「しもきた」

 下北は雨、10:51に着く。今度は息子が迎えに来てくれていた。これで家族3人皆の車に乗ったことになる。

息子が家業を継いでくれて、Yおやじも奥さんも楽になったろう。先日奥さんの運転で帰る時、「お父さんは酒を飲んで運転できないから、冬の雪の中を私がレッカーで事故車を取りに行ったりして怖かったですよ」などと言っていた。

おやじに聞いたら「息子は、彼女はいるらしいが、結婚は??」などと言っていたが、息子はまだ20代、後数年、一人の方が自分が楽かも。息子に「おやじさんがバックしてぶつけて壊した君の車は直したのかい?」と聞くと「おやじは直す気は無いですよ」などと言う。

 こんな話しをしながら工場に行くと、前より少しは綺麗になっていた。何しろ、廃車などでごちゃごちゃで陸運局?から整理しなさいといわれ、この前は、ガラクタを片付けて居る所に行った。

「犬や猫はどうしたの?」と聞くと、「今日は日曜で家のほうに連れて行っている」「その代わり、これの面倒を見ているんだ」ともってきたダンボールに小鳥のヒナが6羽、えさを求めて鳴いている。娘が喜んで触ったりしていたが、何でも古いバスの中に巣を作っていて片付けたら、親鳥がこなくなった。虫をやっていたのを見たので、肉などすり餌にしてやっているが、昨日1羽死んでしまったと言い、今日は女房が、何を食わせたらいいか町まで行って調べているという話である。

 車の方はついでにサービスの後ろのバンパーもすっかり直してある。サービスのお礼は「水戸の梅」

「その後、温泉に行った?」と聞くと「あの後、八幡平に行った、まだ雪がかなりあったよ」などと言う。 

 車を引き取り、分かれて帰路に着く。帰路の途中にぶつかったおばさんの家がある。何しろ、Googleで調べると家の場所から形まで分かるから便利である。前もって保険屋に聞いたら、今は、首が痛いとかで時々通院しているようですというので、本人には帰る途中なので昼過ぎにお邪魔しますと電話しておいて立ち寄った。

おばさんは、30代後半、下の子が高校生だと言う。保険屋が何も行ってこないと言うので、保険屋は、車担当と人身担当に分かれていて、人身担当はこちらから聞いて初めて状況が分かった。貴方の方も自分の保険屋から話しを聞いて進めたらよいでしょうと言っておく。ここも、「水戸の梅」とお見舞いで当方は終わり。

 さて、ここから、野辺地を経て、国道4号みちのく道路(有料)から高速に入り、鹿角八幡平ICで降りる。八幡平に入ると、雨が降ったりやんだりで、途中、八幡平ビジターセンターによる。

この裏に泥火山があって、そこに行って見たが、もっと大規模なものが後生掛温泉の奥にあった。

 

            八幡平ビジターセンター                泥火山の噴気孔

 ここから少し行くと後生掛温泉である。ここは、宿泊部分と湯治部分に分かれており、温泉は一緒。一軒家だがかなり大きな旅館である。

              

                      後生掛温泉(温泉の湯気が立っている)     

 5時前についてしまい、早速、温泉へ。小生や娘の好きな硫黄泉である。食事は比較的さっぱりしていて、まあまあ。

(この日約200km)

 酒を飲んで早く寝たので早起き。娘は散歩してから風呂に入るというので、まず風呂に入り、6時ごろから裏の自然研究路なる道を散歩。雨ではないが残念ながら霧が出ていて、山からの眺望は期待できない。

途中、後生掛けの名の由来となったオナメ・モトメ(めかけ、本妻の意){昔、巡礼の娘が病気の若者を助け、夫婦と待って過ごしていたが、若者には岩手のほうに本妻がいて、夫が生きていると聞いて訪ねてきた。二人の女がそれぞれに後生を掛けてこの谷に身を投げた}や紺屋地獄、泥火山、大湯沼、中坊主、小坊主といった噴気孔や泥火山があり、一周するのに40分程度でちょうど良い。

 

          自然研究路へ向かう                    オナメ・モトメの辺り

 

                        泥火山

 

           中坊主                    大湯沼(看板の方には入れない)

 飯を食って、8時前に出発。八幡平アスピーテラインを登る。途中の雪はすでに殆ど解けている。

                 

                          アスピーテラインの残雪

頂上に近い見返峠は標高1600mに近い。ここで、周辺を見たが、霧でさっぱり見えない。その辺を歩いていると立派な石畳の道があり頂上まで18分?と言う標識があった。

それなら行って見ようと登りだす。しかし、途中から石畳は雪の下に消え目印の柱のみとなった。来た以上は進むべしと雪の上を歩いていくと、頂上の標識があり、展望台も有るが、残念ながら何も見えない。帰りは、めがね沼とか鏡沼とかの方から戻ったが、こちらの方が雪が多かった。

折角の八幡平も、霧で眺望が悪かったが、雪道を頂上まで登ったことに満足して、出発。

 

       頂上への道(最初はこんなもの)          途中から雪道(1m位深い)

 

       頂上の標識と展望台(八幡平湖見えず)        めがね沼

   

   

           鏡沼                         眺望はこんなもので残念

 さて、アスピーテラインでもっと景色を楽しむ予定が9時過ぎに終ってしまい、松尾八幡平ICから花巻ICまで行き、花巻温泉に入って帰る予定を組んでいたが、高速でいくのは止めて、下道を行くことにした。

県道23号から国道282号(奥州街道)を立派な並木道のある自衛隊演習場の横を通って下り、国道4号の合流点(分れ南)まで来る。国道4号(陸羽街道)を下っても面白くないので、ここから県道16号に入る。ここから、8kmほど下ると、滝沢村「チャグチャグ馬っこ」で有名な蒼前神社の標識があり、山側に数km行くと神社がある。

 蒼前とは元は、?(あしげ)の馬を指し、北方系の馬の神様であると言われる。それが、蒼前、相膳、宗善、などと書かれ、馬頭観音や、愛染明王と習合したりして、相染などとも言われ村々に神社があって、様々な行事が行われていたと言う。

明治に陸中国一宮となった駒形神社の末社となったところも多い。ここは、昭和54年にもとの名前の蒼前神社に戻したもので、行って見ると駒形神社時代の絵馬などもある。行事は有名だが、神社の規模は鎮守様といった感じである。

神社とは言え、大和系とは全く違う起源の神社である。もともと、大型の馬は、南船北馬と言われるように北方系のもので、8世紀前半には、東北から朝廷に献上された記録もある。(九州他、南の馬はみな小型である)

   

          鬼越蒼前神社                      チャグチャグ馬っこの由来

 ここを出て、更に県道16号を、盛岡市をはるか左手に見て下っていくと、県道13号(志和街道)との交差点の手前に志波城跡が公園になっている。ここは、坂上田村麻呂アテルイの乱を鎮圧した翌年の803年、この地方の拠点として築いたが雫石川の氾濫で南の徳丹城に移って、約10年で役目を終えたと言う。

道路から見るとやぐらや長い土塀があるが、中に入ると裏は田圃で、映画のセットといった感じである。

   

          志波城の城門(公園となっている)           城門の裏は水田

志和街道を更に下っていき、少し山の方に入ると、源義家が前九年の役のときに創建したと言う志和古稲荷神社がある。

ここは、商売の神として、かなり広く信仰され、立派な社殿であった。

神社の杉の木が枯れてそれを切ったら眷族(すなわち狐)の骨が出たとかでそれを飾った小さな社などがある。

社務所にもおばさんがいて、ここで、この奥に温泉宿があると地図にあるがどうですかと聞いたら、そこはもう何年か前に廃業したと言う。それならやはり花巻温泉かと言うことで出発。

   

          志和古稲荷神社                    狐の骨が入った社と本殿

 20kmほど下り、山の方に向かうと花巻温泉である。しかし、ここは大きな温泉ホテルが立ち並び、面白くないので、更に奥にある台温泉に向かう。ここは小さな湯治の温泉宿が並ぶ温泉である。露天風呂などは無いが、熱いお湯で温泉としてはまあまあであろう。ここで日帰り温泉に入り、傍の店でそばなど食って昼飯とする。

                 

                            台温泉

ここを、12:40頃出発し、花巻南ICで高速に乗り、あとは日立南ICまで。帰り着いたのは、ほぼ18時。

(この日、約600km)

 

「旅の終わり」

 北東北の旅は、三陸海岸を除きこれで終った事になります。今回の旅は、朝早く起きて周辺を歩き、昼前に何箇所か、昼から何箇所か歩き、一日250km近く走るというのは、いささかオーバーワークで、それが祟って注意力散漫、交通事故となったのでしょう。しかし、これで長距離ドライブもほぼ終りです。日本国中の主な道を走ったことになります。

 中部から北陸、近畿については、名古屋時代に走ったので、おいおい、思い出を紹介できるでしょう。