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ごとう こうぞう

後藤廣三

ごとう こうぞう

1886.7(明治19)〜 1967.7.9(昭和42)

明治・大正・昭和期の陸軍軍人(少将)

埋葬場所: 9区 1種 5側

 大分県出身。父は日田銀行重役の後藤彦作の三男。後藤広三と表記することもある。
 1905.11.25(M38)陸軍士官学校卒業(18期)。同期に阿南惟幾(後に大将:13-1-25-5)、山下奉文(後に大将:16-1-8-6)、甘粕正彦(2-2-16)の兄の甘粕重太郎(中将)、井上政吉(後に中将:20-1-18-12)、大島浩(後に中将:14-1-2-3)、小泉恭次(後に中将:22-1-50)、佐竹保治郎(後に中将:22-1-66)、澤田茂(後に中将:4-1-26-2)、常岡寛治(後に中将:10-1-4)、内藤正一(後に中将:9-1-19)、飯塚朝吉(後に少将:3-1-25)、石井善七(後に少将:12-1-13-13)、山中峯太郎(後に作家:14-1-8-7)らがいた。 '06.6.26騎兵少尉に任官。
 '15.12.11(T4)陸軍大学校卒業(27期)。同期に浅野嘉一(後に中将:15-1-15)、大島浩(後に中将:14-1-2-3)、小泉恭次(後に中将:22-1-50)、草場辰巳(後に中将:5-1-23)、沼田徳重(後に中将:20-1-29)、蘆川良治(後に少将:3-1-29の2)、田中毅一(後に少将:12-1-13-5)らがいた。
 様々な要職を経て、1928.8.10(S3)明飛校研主事を務め、'29.8.1 大佐に昇格。'30.3.6 陸軍飛行第八戦隊長に就任。'32.4.11 明飛校教育部長、'33.8.1 明飛校幹事、同.12.20 下飛校幹事、'34.8.1 少将に進級した。'35.8.1 予備役に編入。

<帝国陸軍将軍総覧>
<日本陸軍将官総覧>


墓誌碑

*正面「後藤家之墓」。右側に十字架を刻んだ洋型墓石に英文で刻む聖霊名マリアの後藤孝子の墓誌碑が建つ。墓所内墓誌も建ち、行年17才で亡くなった後藤孝子(S13.10.20卒)から刻む。後藤廣三の戒名は寶壽院釋廣海居士、行年は81才。妻はヒデコ(S49.3.20・行年76才)。


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