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ないとう しょういち

内藤正一

ないとう しょういち

1887.5.21(明治20)〜 1939.11.28(昭和14)

明治・大正・昭和期の陸軍軍人(中将)

埋葬場所: 9区 1種 19側

 愛知県出身。1905.11.25(M38)陸軍士官学校卒業(18期)。同期に阿南惟幾(後に大将:13-1-25-5)、山下奉文(後に大将:16-1-8-6)、甘粕正彦(2-2-16)の兄の甘粕重太郎(中将)、井上政吉(後に中将:20-1-18-12)、大島浩(後に中将:14-1-2-3)、小泉恭次(後に中将:22-1-50)、澤田茂(後に中将:4-1-26-2)、飯塚朝吉(後に少将:3-1-25)、石井善七(後に少将:12-1-13-13)、山中峯太郎(後に作家:14-1-8-7)らがいた。 '06.6.26騎兵少尉に任官。'18.11.29(T7)陸軍大学校卒業(30期)。
 その後、様々な要職を経て、'30.8.1(S5)大佐となり、陸軍騎兵学校附となる。同.12.22騎兵第16連隊長、'32.2.29第20師団司令部附(京城帝国大学服務)、'33.3.18騎兵監部部員を経て、'35.8.1少将に昇進し、騎兵監部附となり、'36.3.7騎兵第2旅団長に就任した。
 前年の'35.8.12皇道派青年将校に共感する相沢三郎陸軍中佐が、陸軍省において統制派の永田鉄山軍務局長を殺害した「相沢事件」が起こった。軍法会議が行われている途上にて、'36.2.22いわゆる二・二六事件が起こり、一時軍法会議が中断していたが、同.4.22より第11回公判で再開した。その際に、裁判長は判士、内藤に変更となった。同.5.7死刑判決となり、上告するも棄却され死刑判決が確定、同.7.3相沢は東京衛戊刑務所内において、判決謄本の送達さえ行われず、弁護人の立ち会いも許されず、銃殺刑は執行された。
 '37.3.1陸軍大学校幹事、同.12.1騎兵集団長を歴任し、'38.7.15中将に累進し、'39.1.7第11師団長に任ぜられるが、同.11.28殉職。享年52歳。功3級。

<帝国陸軍将軍総覧>
<日本陸軍将官総覧>


*墓石正面「陸軍中将内藤正一墓」。戒名は威功院殿釋正安大居士。行年は53歳と刻む。


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