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あさの かいち

浅野嘉一

あさの かいち

1885.5.25(明治18)〜 1937.11.14(昭和12)

明治・大正・昭和期の陸軍軍人(中将)

埋葬場所: 15区 1種 15側

 徳島県出身。1907.5.31(M40)陸軍士官学校卒業(19期)。同期に塚田攻(後に大将:9-1-19)、阿部規秀(後に中将:21-1-13)、香積見弼(後に中将:20-1-25-1)、田路朝一(後に中将:9-1-17-14)、沼田徳重(後に中将:20-1-29)、森本義一(後に少将:20-1-39)、後藤和儀(後の大佐:21-1-13)らがいた。 同.12.26歩兵少尉に任官。
 '15.12.11(T4)陸軍大学校卒業(27期)。同期に大島浩(後に中将:14-1-2-3)、草場辰巳(後に中将:5-1-23)、小泉恭次(後に中将:22-1-50)、蘆川良治(後に少将:3-1-29の2)、後藤廣三(後に少将:9-1-5)、田中毅一(後に少将:12-1-13-5)、沼田徳重らがいた。'27.7.26(S2)歩兵中佐、'32.3.11第1戦車隊長を経て、同.4.11大佐に昇進した。'33.8.1戦車第1聯隊長となり、'34.8.1陸軍歩兵学校研究部主事 兼 同校教官、陸軍軍需審議会委員を務めた。'35.9.7陸軍歩兵学校教導隊長を歴任。
 '36.8.1少将に進級し、歩兵第30旅団長に就任。'37.9.15北支那碇泊場監となり、日中戦争に出征し、同.11.14天津にて戦死。享年52歳。1階級特進し中将に追陞。

<帝国陸軍将軍総覧>
<日本陸軍将官総覧>


*墓石は和型「陸軍中将 浅野嘉一 墓」、裏面「昭和十三年九月 浅野健太郎 建之」。左側に墓誌が建つ。浅野嘉一から刻みが始まり、戒名は敬忠院殿鐵肝玄勇大居士。長男は浅野健太郎(H15.9.2・行年85才)。二男の浅野康介は日本軽金属社長を務めた実業家。戒名は興隆院殿賢光康道禅居士。康介の妻は加代子(H26.8.9昇天・82才)。


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