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もりもと よしかず

森本義一

もりもと よしかず

1887.8.4(明治20)〜 1944.2.12(昭和19)

明治・大正・昭和期の陸軍軍人(少将)

埋葬場所: 20区 1種 39側

 京都府出身。1907.5.31(M40)陸軍士官学校卒業(19期)。同期に塚田攻(後に大将:9-1-19)、浅野嘉一(後に中将:15-1-15)、阿部規秀(後に中将:21-1-13)、香積見弼(後に中将:20-1-25-1)、田路朝一(後に中将:9-1-17-14)、沼田徳重(後に中将:20-1-29)、後藤和儀(後の大佐:21-1-13)らがいた。 同.12.26歩兵少尉に任官。'10中尉、'16(T5)陸軍大学校卒業(28期)。
 '17.8.6大尉、'22.1シベリア出兵するが、同.6.23加藤友三郎首相が閣議でシベリア撤兵を決定したことを受け、反対の意を唱えた。このことは森本から秋田三平(作者の義父)宛てた切実な手紙をもとにまとめられた秋田良子 著作の『シベリア出兵少将からの手紙 〜「撤兵」の謎と真実〜』(2013.4刊行)に詳しい。シベリア出兵少将というのが森本義一のことである。
 '23.3.17少佐、'27.3.15(S2)近衛歩兵第3聯隊附で東京高等師範学校服務に着任し、同.7.26中佐、陸軍兵器本廠附兼陸軍省軍務局附を経て、'30.8.1大佐に進級し、豊橋聯隊区司令官に就任した。'32.12.7天津駐屯歩兵隊長 、'35.3.15近衛師団司令部附で東京帝国大学服務を歴任し、'36.8.1少将に昇格して歩兵第4旅団長に就いた。'37.8.2留守第4師団司令部附となった後、'39.3.9待命、同.3.22予備となるが、'41.3.1福岡聯隊区司令官 に召集され、'42.4.1召集解除。同.7.3第14軍司令部附(陸軍司政長官)となるも、'44.2.12殉職。享年56歳。

<帝国陸軍将軍総覧>
<日本陸軍将官総覧など>


墓所

*墓所は正面に和型「故陸軍少将 従四位 勲一等 森本義一 之墓 / 陸軍大将 中村孝太郎 書」と刻む。右面に戒名と没年月日、行年が刻む。「忠烈院釋義徹大居士 / 昭和十九年二月十二日歿 行年五十八歳」。左手側に「大林徹郎之墓 / 大林博子之墓」の和型墓石、右手側に墓誌がある。墓誌にも義一が刻まれており、陸軍少佐で戦死した息子の刻みもある。


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