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ごとう かずのり

後藤和儀

ごとう かずのり

1885(明治18)〜 1936.4.27(昭和11)

明治・大正・昭和期の陸軍軍人(大佐)

埋葬場所: 21区 1種 8側

 愛知県名古屋市出身。後藤牧三郎(同墓)の長男。1907.5.31(M40)陸軍士官学校卒業(19期)。同期に阿部規秀(後に中将:21-1-13)、香積見弼(後に中将:20-1-25-1)、田路朝一(後に中将:9-1-17-14)、沼田徳重(後に中将:20-1-29)、浅野嘉一(後に少将:15-1-15)、森本義一(後に少将:20-1-39)らがいた。同.12.26工兵少尉となり、工兵第3大隊付。
 陸軍士官学校教官、工兵学校付、兵器本廠付などを歴任。'34(S9)大佐となり伊藤本部隊管下の部隊長として満州(中国東北部)に渡り、ハルビン市の水害を防ぐ松花江氾濫防止工事に当たる。駐満軍の間に発生した部下経理官の公金横領事件の責任を取り、'36帰国途中の大連で拳銃自殺した。正5位 勲3等。享年51歳。

<講談社日本人名大辞典>
<20世紀日本人名事典>


後藤工兵大佐之碑

*正面に和型「後藤家之墓」。右側に「後藤工兵大佐之碑」、左側に墓誌がある。戒名は清節院釋和敬。

*同墓には和儀の次男の後藤寧や三男の後藤健(陸軍中尉で戦死)も眠る。後藤寧は戦後、自衛隊に入り陸将補(従4勲4)になった。


後藤 寧
 後藤和儀(同墓)の次男。1937.12(S12)陸軍士官学校卒業(50期)。津野田是重(陸軍少将:7-2-14-13)の三男の津野田知重らと同期。
 戦後、'54旧軍人が受け入れ可能となった陸上自衛隊に入隊。様々な要職を経て、中部方面総監部輸送課長となる。'68.7.16陸上自衛隊輸送学校長に就任(〜'69.7.15)。'69.7.16陸上幕僚監部付となり、同.11.23退職。陸将補。従4位 勲4等。


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