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しま たよ

島 多代

しま たよ

1937.7.6(昭和12)〜 2017.11.27(平成29)

昭和・平成期の絵本研究家

埋葬場所: 15区 1種 2側 15番

 東京出身。曽祖父は鉄道建設に貢献した官僚の松本荘一郎(3-1-17-4)、祖父は商法学者・政治家の松本烝治(3-1-17-4)、父は哲学者の松本正夫(3-1-17-4)。大叔父に経済学者・教育家の小泉信三(3-1-17-3)。旧姓は松本。夫は鉄道技術者の島隆(同墓)。
 12歳の時に小児麻痺となり、闘病中に読書家となる。聖心女子大学卒業後、1961(S36)聖心会の活動として欧米へ公演旅行をした。'62.10 数学者の三村征雄の自宅にて島隆(同墓)とお見合いをし結婚。'65〜'69 夫の外務省出向でニューヨーク勤務の際は、娘2人を連れて同行。'69帰国後、武市八十雄(21-1-17)が設立したカトリック系出版社の至光社の編集者となり、いわさきちひろ らを担当した。
 '81夫が世界銀行へ出向のためアメリカ・ワシントンD.C.近郊に家族で滞在。'82スミソニアン博物館で児童書講座を学ぶ。この頃、アメリカ議会図書館が所蔵していた日本語児童書のカタログ作成に従事した。またアメリカ図書館協会の異文化圏児童図書選定委員会委員を務めた。アメリカ議会図書館のシンポジウム「日本の窓」を企画して日本の児童書3百冊を選んで図録を作り、日本の児童書における「物語の伝統」について講演を行った。
 '88長年蒐集した絵本・児童書を基に私設図書館「ミュゼ・イマジネール」を、北品川の自宅に開設・主宰。約3,000点におよぶ絵本やポスターなどの個人コレクションを公開。'90(H2)世界64ヶ国が加盟する児童書の国際的ネットワークである国際児童図書評議会(IBBY)理事、'92副会長、'98会長に就任した。
 対立しがちな加盟国理事の意見をとりまとめ、その運営に優れた手腕を発揮した。2002 バーゼルでのIBBY創立50周年記念大会では、大学の先輩(姉と同級生)で親交が深かった美智子皇后(当時:現・上皇后美智子)を同大会の名誉総裁の一人に仰ぎ、見事に大会を成功に導いた。またこれに先立ちIBBYインド大会で参加者に多大の感銘を与えた美智子皇后の講演は国内でも放映、出版されて多くの視聴者、読者に子どもの本の重要性を認識させることとなった。「子どもの本を通じての国際理解」というIBBYの理想を国際的に身を以て実践。2004これら多年にわたる功労により社会貢献支援財団より社会貢献者表彰を受賞。
 その他、ブラチスラバ国際絵本原画展の国際選考委員、東京こども図書館評議員を務め、「絵本の歴史」講座・講演を行う。友人たちからは「火砕流のお多代」と呼ばれた。共著に『ソビエトの絵本 1920-1930』(ジェームス・フレーザー共編:1991)、『日本の絵本 絵本が表現してきたもの』(小野かおる共編:2005)がある。また翻訳に『センダックの絵本論』(モーリス・センダック著・脇明子共訳:1990)、『ちいさなもののいのり』(文・エリナー・ファージョン、絵・エリザベス・オートン・ジョーンズ:2010)がある。
 亡くなる10日前に入院先に美智子皇后がお見舞いに訪れた。享年80歳。2017.12.1 カトリック高輪教会での葬儀が営まれた際に、美智子皇后は天皇陛下の退位日について意見聴衆する皇室会議のわずかな時間をつくり会場に弔問された。偲ぶ会などに出席されることが多い美智子皇后が、葬儀会場に足を運ぶのは異例である。美智子皇后の「絵本や児童文学によって、世界の子供たちに想像力の翼を与えたい」という思いを世に伝えるために尽力した島多代は、美智子皇后にとって、親しい後輩というだけではなく、人生を変えた同志であった存在であったといえるだろう。

<「[時代の証言者]絵本と生きる 島多代」尾崎真理子>
<訃報記事>
<美智子さま 異例の弔問にあった“人生変えた後輩”との交流>


正面 裏面

*墓石前面「島家」。小さく「十河信二揮毫」と記されている。昭和34年7月建之とあることから、島順が没した年に島秀雄が建立した墓である。裏面が墓誌になっている。 *上皇后美智子の祖父の日清製粉創業者の正田貞一郎、伯父で数学者の正田建次郎、従兄妹の法学者の正田彬は多磨霊園15区1種1側23番に眠る。また生化学者の水島昭二(11-1-24)も従兄弟にあたる。上皇后美智子の父の正田英三郎は鎌倉霊園。


【島 一族】
 島家代々は和歌山県で「島喜」という薬問屋を営んでいた。島吉兵衛の次男が車輛の神様と称された鉄道技術者の島安次郎(同墓)。多磨霊園の墓石墓誌は昭和17年に3才で亡くなった島敏から刻まれ、安次郎以降の代々が眠っている。
 島安次郎の妻の順(同墓:S34.1.21歿)は、朝鮮郵船社長などを務めた原田金之祐の娘。安次郎と順の間には5男儲ける。長男は新幹線生みの親と称された鉄道技術者の島秀雄(同墓)。次男はソニー常務を務めた島茂雄。三男は鉄道省技師の牧田邦雄、三井合名理事や三井鉱山会長を務めた牧田環、団琢磨の娘のメイとの娘の玉枝の婿養子になった。四男は農芸化学博士・朝日麦酒副社長の原田恒雄、安次郎の妻の順の弟の原田立之祐の娘の篤子の婿養子。五男は鉄道航空技師で日本航空機製造取締役の島文雄。
 島秀雄の妻は豊子(同墓:H1.1.23歿)。豊子の祖父は陸軍大将の中村覚(22-1-27)。父は鉄道官僚・男爵の中村謙一(22-1-27)。秀雄と豊子の間には4男1女。長男の島宏(同墓:S55.8.11歿)は日本交通技術者。台湾高速鉄道の顧問を務めた鉄道人の島隆(同墓)は次男。4男の島直は日本電気に勤める。長女の久美子は弁護士の池田映岳に嫁ぐ。
 島隆の妻は多代(同墓)。多代は絵本研究家として活動した。多代の曽祖父は鉄道建設に貢献した官僚の松本荘一郎(3-1-17-4)、祖父は商法学者・政治家の松本烝治(3-1-17-4)、父は哲学者の松本正夫(3-1-17-4)。大叔父に経済学者・教育家の小泉信三(3-1-17-3)。多代の妹の萬千は住友海上火災専務の山下洋二郎にに嫁ぐ。洋二郎の祖父は山下財閥の祖の山下亀三郎(20-1-58)、洋二郎の父は山下汽船社長の山下太郎(20-1-58)。多代の妹の百代は富士ゼロックス会長の小林陽太郎に嫁いだ。



第18回 弾丸列車&新幹線生みの親 鉄道三世代 島一族 お墓ツアー


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