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しょうだ けんじろう

正田建次郎

しょうだ けんじろう

1902.2.25(明治35)〜 1977.3.20(昭和52)

昭和期の数学者

埋葬場所: 15区 1種 1側 23番

 群馬県館林市出身。日清製粉創業者の正田貞一郎・きぬ(共に同墓)の次男。次弟は日清製粉を継いだ正田英三郎、姪に上皇后美智子。妹の勅子は物理化学者の水島三一郎(11-1-24)に嫁ぐ、甥に生化学者の水島昭二(11-1-24)。
 1925(T14)東京帝国大学卒業。翌年、ドイツに留学し、エミ=ネーターに師事し、'29(S4)帰国。'33大坂帝国大学数学科創設に伴い教授となる。'49学士院賞。'50『抽象代数学』を著わし、日本における数学近代化の中心的存在として活躍。また、『数学へのみち』『多元教論入門』など著す。理学部長を経て、'54同大学学長。基礎工学部設立に尽力した。
 退官後、'62同学部の基礎工学学部長として復帰(〜'65)。'65武蔵大学長、'75武蔵学園長。この間、'69文化勲章授章。'74勲1等瑞宝章授章。享年75歳。従2位、旭日大綬章追贈。

<コンサイス日本人名事典>
<講談社日本人名大辞典>


*天文学者の平山信の次女の多美(同墓)と結婚し、1男2女をもうけた。長男の正田彬(同墓)は法学者。長女は絢子、次女はさだ子。 多美の死別後、九州大学教授・伊藤栄三郎の娘の禎子と再婚し、正田紘をもうけた。正田紘はソニーチャイナ菫事長やソニー顧問などを務めた人物。



第216回 今上天皇(令和)姪孫は数学者 従甥は法学者
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