群馬県館林市出身。日清製粉創業者の正田貞一郎・きぬ(共に同墓)の次男。次弟は日清製粉を継いだ正田英三郎、姪に上皇后美智子。妹の勅子は物理化学者の水島三一郎(11-1-24)に嫁ぐ、甥に生化学者の水島昭二(11-1-24)。
1925(T14)東京帝国大学卒業。翌年、ドイツに留学し、エミ=ネーターに師事し、'29(S4)帰国。'33大坂帝国大学数学科創設に伴い教授となる。'49学士院賞。'50『抽象代数学』を著わし、日本における数学近代化の中心的存在として活躍。また、『数学へのみち』『多元教論入門』など著す。理学部長を経て、'54同大学学長。基礎工学部設立に尽力した。
退官後、'62同学部の基礎工学学部長として復帰(〜'65)。'65武蔵大学長、'75武蔵学園長。この間、'69文化勲章授章。'74勲1等瑞宝章授章。享年75歳。従2位、旭日大綬章追贈。