| 歴史が眠る多磨霊園 |
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正田貞一郎 |
しょうだ ていいちろう | |
| 1870.2.28(明治3)〜 1961.11.9(昭和36) | |
大正・昭和期の実業家(日清製粉) | |
| 埋葬場所: 15区 1種 1側 23番 | |
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相模(神奈川県横浜市)出身。正田家は上州館林にて代々「米文」の暖簾のもとに米問屋を営んでいた富商であり、名字帯刀を許されていた家柄であった。
祖父は米殻商を辞め醤油醸造業を開業した正田文右衛門(3代目)。正田作次郎・幸の長男として生まれる。
父の作次郎は横浜に出て外国米の輸入商をしていたが、貞一郎が生まれた翌年に風邪がもとで急逝したため、母とともに郷里の群馬県館林に戻り、祖父の3代目文右衛門の下で育つ。 <コンサイス日本人名事典>
*妻は正田醤油会長の正田文右衛門(5代目)の長女のきぬ。その間に四男五女。長女はる、長男は明一郎(一橋大学生の時に早死 同墓)。二男が数学者の建次郎(同墓)、その息子が法学者の彬(同墓)。二女の勅子は物理化学者の水島三一郎(11-1-24)に嫁いだ。三男の英三郎は日清製粉を継ぎ、その娘が美智子皇后、息子は日清製粉グループ本社会長の修。三女の祐子は日魯漁業監査役などを務めた実業家の脇村禮次郎に嫁ぐ。四男の順四郎は日本農産物工業社長を務めた。四女は千鶴子。五男の篤五郎は理学博士で東京大学教授。五女は和子。 | |
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