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まつもと そういちろう

松本荘一郎

まつもと そういちろう

1848.6.23(嘉永1.5.23)〜 1903.3.19(明治36)

明治期の鉄道建設に貢献した官僚

埋葬場所: 3区 1種 17側 4番

 長男は法学者の松本烝治(同墓)、孫は哲学者の松本正夫(同墓)。
 播磨国(兵庫県)に生まれたが、明治初年に箕作麟祥(14-1-2-2)に師事した折、大垣藩(岐阜県)藩士の推薦を受け同藩に出仕することとなった。 のち大学南校に入り、1870(M3)米国に留学し土木工学を学ぶ。1876帰国し、東京府御用掛を振り出しに開拓使御用掛、工部権大技長、鉄道庁長官、逓信省鉄道局長、鉄道作業局長官を歴任。 その間東京・青森間や中山道鉄道幹線などの路線踏査を行い、アプト式鉄道の建設を説いた。1888工学博士。1898には帝国鉄道協会を設立した。享年54歳。

<朝日日本歴史人物事典>
<五輪塔様より情報提供>


*松本家の墓所は大小寝かせ墓石が計5基あり、入り口左側二基並んでいる右側が烝治夫妻、左側に正夫夫妻の墓石である。 墓所右側に荘一郎夫妻の墓石がある。松本家の墓所は池上本門寺から改葬。


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