東京出身。鉄道建設に貢献した官僚・土木技術者の松本荘一郎(同墓)の長男。妻の千は小泉信吉(3-1-17-3)の娘であり、小泉信三(3-1-17-3)の妹である。
長男の松本正夫(同墓)は哲学者、長女の峯子は法哲学者の田中耕太郎に嫁ぎ、次女の文子は慶應義塾大学医学部教授の三邊謙に嫁いだ。孫に文子の子の横浜国立大学名誉教授の三辺夏雄がいる。
1900(M33)東京帝国大学法科大学卒。農商務省に入り、参事官を務めるが、'03東大助教授に転進し商法を担当。'06〜'09英・独・仏の三国に留学し、'10教授。
'13(T2)以来、法制局参事官を兼ねる。'14(T3)以後数年の内に『商行為法』『海商法』『保険法』『手形法』『会社法』と、商法の各領域の標準的教科書を著した。
また民・商法に関する多くの論文を発表して学会に多くの影響を与える。'19大学を休職して、岡野敬次郎の推薦で満鉄理事となり、'21満鉄副社長に就任したことを機に大学を辞職。
'23第2次山本権兵衛内閣の法制局長官に就任。前任は馬場鍈一(10-1-7-12)。'24貴族院勅選議員。
以後、弁護士を開業するかたわら、'25〜'28(T14〜S3)関西大学長、中央大学・法政大学教授。この間、'25帝国学士院。'34斎藤實(7-1-2-16)内閣の商工大臣として入閣。
日銀参与・理事、多数の会社の取締役などを勤めた。また多くの立法にも関与し、破産法、小切手・小切手法、数度にわたる商法改正に貢献した。特に'38(S13)商法大改正には、当時の全体主義的風潮に抗して株主会議中心の改革に指導的役割を果たした。
敗戦後、幣原喜重郎内閣の国務相として憲法改正案の起草の責任者として、天皇大権護持の「松本私案」を作製した。
しかし、その案は保守的であるとして連合国最高司令官総司令部に拒否された。'46公職追放、'50解除となり、公益事業委員長として電力事業再編などに尽力した。
'51日本学士院会員に選出。主な著書は、'04『人、法人及物』、'26『私法論文集』、'29『日本会社法論』、'39『改正商法大意』がある。法学博士。享年76歳。死去に際して勲一等旭日大綬章追贈。